郭淮(かくわい)

郭淮は并州出身で、曹丕が五官将・副丞相に任命されると、

曹丕幕下に招かれた人物です。

 

曹操が漢中侵攻して張魯を降した後、

夏侯淵と共に漢中に赴いて、漢中の守りを任されています。

 

しかし、劉備が漢中へ侵攻してきた際には病気にかかっており、

その戦いには参戦できなかったようです。

 

の戦いで、夏侯淵は討たれてしまいます。

夏侯淵が討たれた事で夏侯淵軍は動揺しますが、

郭淮がそれをとりまとめ、張郃を大将にさせて劉備の更なる侵攻を防いでいます。

 

その後曹操の援軍が到着しますが、

曹操軍劣勢の状況が続き、曹操は漢中を捨てて撤退しています。

曹丕即位と逸話

 

曹操がこの世を去り、曹丕の時代になります。

 

そして曹丕が皇帝になるのですが、それを皆でお祝いする時、

郭淮はまた病気にかかって、参加が遅れてしまいます。

 

なんか大事な時に毎回病気成ってませんか、

この郭淮って人は(笑)

 

 

まぁ冗談はさておき、

冷酷な人格で知られる曹丕は、病気で参加が遅れた郭淮に、

「なんでこんな大事な席に遅れたんだ?」と郭淮を問い詰めます。

 

ここで郭淮は、

「今は、尭舜(ぎょうしゅん)の時代になったのですから、

病気で参加が遅れた程度の事は許してもらえるものと思っていました」

と曹丕に対して返します。

 

ちなみに郭淮が今回名前を出した尭と舜は、中国の伝説上の人物で、

徳によって民衆に理想的な仁政を施した二人の帝王のことです。

 

曹操の時代から曹丕の時代に移り、

今の世が徳によって収められた良い世の中であると、

ようは曹丕をおだてたんですね。

 

この郭淮の返答に気をよくした曹丕は、郭淮を許したばかりか、

雍州刺史の代理を郭淮に任せています。

※雍州は蜀との前線にあたる場所で、魏を守る上での境界線的地域でした。

 

郭淮は代理としてこの地をよく治め、

5年後刺史代理から正式な刺史に任命されています。

蜀や羌との残りの生涯をかけた郭淮

 

曹丕が死に、新帝曹叡が跡目をつぐと、

郭淮は司馬懿の元で活躍を繰り広げています。

司馬懿指揮下にあった郭淮は、何度も諸葛亮らと戦っています。

 

そして郭淮は、蜀軍との戦いだけでなく、

羌族の反乱の鎮圧に何度も成功しているんです。

 

時代が更に進むにつれ、

諸葛亮がこの世を去り、曹叡もまたこの世を去ります。

そして、司馬懿に代わって郭淮は蜀対応を任されるようになります。

 

蒋琬・費禕死後、姜維の北伐が何度も行われますが、

郭淮は全て守り切っています。

 

そして250年、郭淮はこれまでの功績を評価され、車騎将軍に任命されています。

255年に亡くなると、大将軍の役職が死後追贈されます。

郭淮と王夫人(妻)とのちょっと良い話

 

王陵がクーデタを起こす事件がありました。

この時一族であった者達も連座の計で処刑命令が出されます。

 

郭淮の妻は、王陵の妹にあたり、処刑命令が出された一人でした。

郭淮の妻はかつて董卓を殺害した王允の姪にあたる人物でもありました。

 

郭淮は「仕方なし」と妻を中央へ送り出しますが、

郭淮が徳を持って遇していた羌族らの嘆願が後を絶たず、

息子達も妻の後を追って死ぬと言い出す始末・・・

 

さすがに息子達に死なれても困る郭淮は、

連れていかれていた妻を取り戻すことを決意します。

 

そして取り戻した後、司馬懿に妻の命乞いを願い、

これまでの郭淮の功績もあり、それが認められるところとなります。

 

 

下手したら中央の命令に背くという反逆の罪の可能性もあったと思います。

そんな中、羌族の助願や息子達の助願があったにしろ、

妻を助けたいと本気で思った郭淮は妻を愛していたのでしょう。

 

そしてそのわがままが許されたのも、

郭淮がこれまで一途に国の為に尽くしてきた功績があったからに他なりません。

郭淮がこの世を去る4年前の話です。