孫堅死後に勢いを失くしていた孫家でしたが、
孫策によって次第に勢力を盛り返し、呉の土台を作ることに成功します。
しかしそれまでに孫策は何度か死にそうになったことがあるのですが、
今回紹介する祖郎との戦いで、孫策は二度まで死にかけています。
祖郎(そろう)
祖郎は規模こそ違えど、張角や張魯と同じように宗教指導者でした。
丹陽郡陵陽出身であった祖郎は、
丹陽郡涇県を中心に信者を増やしていたようですが、
丹陽・宣城・陵陽・始安・歙・黟などに信者が増えていったそうです。
ここで次第に勢力を伸ばしつつあった祖郎を討伐すべく、
孫策は兵士数百人を率いて討伐を決意!!
ただこの時の孫策は自分の領地をもっていない時であり、
呉景の元に保護されていた時だと「呉景伝」に記載があります。
呉景が丹陽太守だった背景には、
袁術と袁紹は互いに争っていた時期であり、
袁紹によって任じられていた丹陽太守であった周昕を追い払う形で手に入れていたのです。
勿論呉景は袁術側の人間として丹陽郡を奪った形です。
この時代、力を持った群雄が勝手に太守を任命したりするのは日常茶飯事でしたし、
それだけ後漢帝国の権威が地に落ちていたという事になりますね。
祖郎討伐は、
呉景が孫策をちょうど保護していたタイミングだったわけです。
祖郎VS孫策①
祖郎は孫策が自分を討伐しようとしていると知ると、
攻撃される前に先手必勝とばかりに孫策を襲撃!!
この襲撃で孫策は馬の鞍に斬りつけられたりと、
本当に死ぬ寸前までに追い込まれてしまいます。
この時の戦いで孫策は命こそ失わなかったものの、
全滅に近い被害を受けてしまったわけです。
その後、呉景の援助を受けて軍を立て直し、
呂範・孫河と協力して祖郎を打ち破ることに成功したのでした。
祖郎VS孫策②
一度目の戦いの際に祖郎に討ち取られそうになった孫策でしたが、
孫策は再度祖郎と戦うこととなります。
袁術が皇帝を名乗ったタイミングですね。
孫策は袁術が皇帝を名乗ったことで、完全に袁術から離れることを決意!
そして孫策は江東を支配下に置き、
邪魔であった袁術の従弟にあたる袁胤を追い払います。
袁術と孫策は敵対関係になり、
袁術は祖郎に使者を送り、「孫策を挟み撃ちにしよう」と持ち掛けます。
そして祖郎は袁術の誘いにのったことで、袁術はほくそ笑み、
孫策と祖郎の戦いが起こった際に、孫策領地を奪おうと考えていたのです。
それに対して孫策は祖郎を攻撃しますが、逆に孫策は包囲されてしまったそうです。
一回目に引き続き、孫策はまたもや危機的状況に追い込まれたわけですね。
この時に守ってくれたのが程普でした。
この時に程普はただ一人で孫策を庇いながら、
大声をあげながら敵を蹴散らすほどの奮闘だったそうです。
実際は名前こそ伝わっていませんが、程普ともう一人の人物で守ったと記録には残ってます。
程普らの奮闘の様子を見た祖郎軍はひるみます。
その隙をついて、程普と孫策は危機から脱出できたのでした。
その後、孫策は呂範・孫輔・程普らと力を合わせ、
最終的に祖郎と生け捕ることに成功します。
戦いを終えて・・・
二度までも祖郎に討たれそうになった孫策でしたが、
捕らえた祖郎に対して話しかけます。
「お前には命を奪われかけたが、私は勢力拡大に必死になっている時期だ。
殺されかけた恨みは忘れて、お前のような者が今の私には必要なのだ!
だから今後は私に力を貸してくれないか!!?」
孫策の言葉を聞いた祖郎は、
死を覚悟していただけに孫策の度量の深さに感激し、
頭を地面にこすりつけて孫策に謝罪したのでした。
この時期に仲間になった人物で太史慈などもいましたが、
孫策が凱旋する際に、孫策軍の先頭で全体を先導したのは孫策に降った祖郎と太史慈だったのです。
この記述が意味することは、
孫策は降伏して味方になってくれた二人に対して、
期待を込めて花を持たせたのでしょう。
太史慈は今後も孫策陣営で活躍を続けていきますが、
祖郎に関してはこれ以降の記述は残っていません。
もしかしたら病死してしまったか、
どこかの戦いでや簡単に討死してしまったのかもしれませんね。
孫策を二度までも苦しめた祖郎が、
名前すら登場しなくなるというのも少しおかしいですから・・・
祖郎との戦いから見える孫策像
祖郎との戦いからなによりも分かることとして、
孫策が短命に終わってしまった理由が多く詰まってるような気はしますね。
運が良かったから祖郎との戦いでは死ななかったけど、
運が少しでも悪かったら死んでしまうような戦いが多すぎます。
実際祖郎との戦い以外にも孫策が死にかけたという話はいくつもあります。
まぁそれほど全力で勢力拡大を目指したからこそ、
短期間で揚州の大部分を支配下に置くほどに領土拡大に成功したのでしょうけど・・・
孫堅の死によって多くのものを失い過ぎた孫策にとっては、
自分の命を常にかけないとどん底から這い上がれないぐらいの気持ちだったのでしょう。
孫策が領土拡大にあっさりと成功したかのように錯覚してる人も多いですが、
孫策が短期間で領土拡大できた裏側には、
死と隣り合わせの戦いがいくつもあったことを忘れてはいけないとは思いますね。