劉焉・劉璋にとって欠かせない特殊部隊が「東州兵」になります。

 

東州兵のお陰で劉焉は益州に基盤を築けたと言えますし、

逆に東州兵のせいで劉璋の没落してしまったとも言えますね。

 

東州兵は劉焉・劉璋親子にとって表裏一体の存在であり、諸刃の剣でもあったわけです。

東州兵の誕生

劉焉はもともと中央にいた人物ですが、

中央の混乱を避け、地方での自分の勢力を持ちたいという野望にかられます。

 

そこで後漢末期の混乱で、州刺史の影響力が失われていることを利用して、

州牧を置くように霊帝に上奏したのです。

 

 

ここでこれまでの刺史と大きく違ったのは、

地方で軍事権を持つことができるようになった点ですね。

 

もっと分かりやすい言い方をすると、

私兵集団を持てるようになったという事です。

 

 

この提案が受け入れられた劉焉は次の行動に移します。

つまり「益州牧」を願い出たわけです。

 

 

劉焉は内に野望を秘めて益州へとやってくるわけですが、

当時の益州は馬相の乱などで非常に乱れている状態だったのですが、

 

地方豪族の力のお陰もあって益州をなんとか治めることができるようになります。

 

 

この時に劉焉が注目したのが、

 

南陽・三輔といった地域から

争乱を避けて益州に移住してきていた数万人の民衆でした。

 

 

劉焉はそれらの民衆から

選抜して精鋭部隊を作り出したのです。

 

これが「東州兵」の由来になります。

 

劉焉は東州兵を使って、益州での支配権の確立に見事に成功!

この時は劉焉も地方豪族への緩和策も行っていたことで東州兵と地方豪族の関係も良好でした。

 

 

ちなみに東州兵以外には青羌族に関する記録も残っています。

 

蜀郡属国の中にある青衣地域に住む羌族であった青羌族の力も借りて、

劉焉の支配に抵抗する地方豪族の討伐を行ったわけです。

 

青羌族は後に諸葛亮によって組織化された無當飛軍の主力であったことでも知られる民族になりますね。

 

 

また劉焉は張魯を利用して漢中を支配され、

中央とのつながりをシャットダウンして独立勢力を確立させることにも成功したわけです。

 

これにより実質漢帝国から完全に独立した勢力だったと言えますね。

益州で独立国を夢見た劉焉

劉焉の死去&東州兵の暴走

194年に劉焉が没すると、劉璋が跡を継ぐことになります。

 

しかし劉焉が死んだことで、

劉焉によって統制されていた東州兵が好き勝手にやりだします。

 

 

東州兵は民衆を殺傷したり、

略奪を平気で働くようになったことで、

 

劉璋と益州豪族との関係が非常に悪化していったわけですね。

 

実際は劉焉が生きていた時からも身勝手な振る舞いが増えていたのも事実でしたけど、

それでも東州兵を制御できていました。

 

 

 

とりあえずそんな状況下で劉璋が跡を継ぐわけですけど、

まぁ劉璋は普通に東州兵を制御できなかったのです。

 

劉璋が東州兵をまとめきれなかった点が、

劉璋が暗愚であるとよく言われる一つの理由でもあるんですけどね。

 

 

 

ちなみにですけど、呉で活躍した甘寧も、

劉焉が死んだ194年に益州豪族と手を組んで反乱を起こしていますね。

 

その背景に当たり前のようには東州兵との対立があったわけで・・・

 

 

結構勘違いされやすいのですが、

甘寧は劉表に仕える前は、もともと益州で山賊をやっていましたからね。

劉璋 -民衆を第一に考えた益州二代目-

劉備陣営に寝返る益州豪族者達

劉璋が東州兵を制御できないことが及ぼした最大の影響は、

劉備の益州侵攻を開始した時でした。

 

劉備は益州を手に入れるべく益州へ侵攻していくわけですが、

多くの優れた人物が劉璋体制に嫌気をさして劉備になびいたからですね。

 

その背景は上でも書いてましたが、東州兵による地方豪族者との対立なわけです。

 

 

劉備は戦いの中で苦戦を強いられたりもたびたびしていますが、

益州豪族者の抵抗が少なかったことも事実です。

 

 

ちなみに東州兵を率いていたのは、

高沛・冷苞・楊壊・鄧賢あたりでしたね。

 

一応東州兵を率いていたこともあり、

劉璋軍の中での名将扱いなどされたりする人物も混じっていますが、いたって結果も残せず・・・

 

四名とも三国志演義にも劉備に抵抗する劉璋配下として描かれていますが、

結構な雑魚扱いされてしまっています。

 

まぁ彼らが三国志演義で劉璋側として用いられたのは、

四人が東州兵と関係あったからだと間違いなく言えるでしょうね。

 

 

他には張任などが最後まで忠義を尽くした感じですが、

張任などは貧しい身分から苦労に苦労を重ねてやっとのことで出世した人物ですから論外です。

 

益州豪族者でもなかった張任が出世すること自体がそもそも難しかったのもあり、

劉璋に忠義を尽くす以外に選択肢が生まれなかったのでしょう。

 

劉璋を諫めて自殺した王累も同じですね。

 

 

後にこの時に劉璋から轡替えした多くの益州豪族者らが、

抜擢されていくこととなります。