湖海の士(湖海之士)
「湖海の士(湖海之士)」とは、有能な民間の人物を例えた言葉であり、
壮大な志や豪気を備えた人物に使われる四字熟語になります。
一般的にも知られた「湖海の士」ですが、
これは後漢末期の群雄割拠の時代に誕生した、三国志由来の言葉でもあります。
その由来となった人物が陳登(元龍)であり、
湖海の士という言葉は、劉備・劉表・許汜が陳登についての評価を語った中で使われた言葉になります。
湖海の士が登場する「魏志」呂布伝(付陳登伝) -原文&翻訳-
陳登者、字元龍、在廣陵有威名。
陳登は字を元龍という。広陵において威名を得ていた。
又掎角呂布有功、加伏波將軍、年三十九卒。 呂布討伐&捕縛に功績があり、伏波将軍に任じられたものの39歳で亡くなった。
後許汜與劉備並在荊州牧劉表坐、表與備共論天下人。 後年に許汜と劉備が荊州牧の劉表と同席した事があり、劉表が劉備と共に天下の人材について議論を行った。
汜曰「陳元龍湖海之士、豪氣不除。」 許汜は「陳登殿は湖海(地方)の士であり、傲慢さ(豪気)が除けませんでした。」と言った。
備謂表曰「許君論是非。」 劉備が劉表に「許汜殿の言っている事は正しいのでしょうか?」とたずねた。
表曰「欲言非、此君為善士、不宜虚言;欲言是、元龍名重天下。」 劉表は「許汜殿の言葉が間違っていると思っても、 許汜殿は立派な人物であって嘘をつくわけがないだろう。
一方で許汜殿の言葉が正しいと思っても、陳登殿の名声は既に天下に鳴り響いている。」と答えた。
備問汜「君言豪、寧有事邪。」 劉備が「陳登殿が傲慢だと思われる理由はなんでしょうか?」と許汜にたずねた。
汜曰「昔遭亂過下邳、見元龍。 許汜は次のように答えた。 「昔、私が戦乱の為に下邳に立ち寄り、陳登殿とお会いした事がありました。
元龍無客主之意、久不相與語、 陳登殿は賓客として私をもてなす気はなく、 お互いに言葉を交わすこともほとんどありませんでした。
自上大牀臥、使客臥下牀。」 そればかりか自らは大きな寝台にて休み、私を寝台の下にて休ませたのです。」
備曰「君有國士之名、今天下大亂、帝主失所、望君憂國忘家、有救世之意。 劉備は言った。「許汜殿は国士の名声を得ておりました。 今現在において天下は大いに乱れ、帝は身の置き所もない有様です。 だからこそ貴方には家の事を顧みずに国を憂い、世を救済する事が望まれていたのです。
而君求田問舍、言無可采、是元龍所諱也、何縁當與君語。 しかし貴方は田地を求めて家を探したのです。 陳登殿はそんな貴方の発言からは何も得るものはなかったのです。 そして陳登殿はそういう事を嫌う人物です。その上で貴方と何を語ればよかったのでしょうか?
如小人、欲臥百尺樓上、臥君於地、何但上下牀之間邪。」。 もし私であれば、百尺(23メートル)の高さがある楼上で休み、 許汜殿を床に寝かせた事でしょう。」
表大笑。 劉表は大笑いした。
備因言曰「若元龍文武膽志、當求之於古耳、造次難得比也。」 劉備は「陳登殿のような文武を兼ね備え、何をも恐れぬ勇気と志を持った人物は古代にしか探すことはできず、 今の世で陳登殿のような人物を探すことは難しいでしょう。」と続けて語ったのであった。 |