阮籍(竹林の七賢)

三国志の時代には、清談に熱中した知識人達がいました。

その代表的な人物が竹林の七賢と呼ばれた七人の知識人になります。

  • 阮籍(げんせき)
  • 嵆康(けいこう)
  • 山濤(さんとう)
  • 劉伶(りゅうれい)
  • 阮咸(げんかん)
  • 向秀(しょうしゅう)
  • 王戎(おうじゅう)

 

また彼らは酒にまつわる逸話も多い方々でもありますね。

 

ちなみに清談とは世俗を離れて自由に物事を論じる事をいいます。

もう少し分かりやすい言い方をすると、現実から逃げて楽しくおかしく暮らしていた人達ですね。

 

今回紹介する白眼と青眼は、

竹林の七賢に数えられた阮籍から生まれた言葉になります。

 

ちなみに阮籍の父親は、建安七子の一人に数えられた阮瑀げんうになります。

〈建安七子〉

  • 阮瑀(げんう)
  • 孔融(こうゆう)
  • 陳琳(ちんりん)
  • 王粲(おうさん)
  • 徐幹(じょかん)
  • 応瑒(おうとう)
  • 劉楨(りゅうてい)

 

孔子の子孫にあたる孔融であったり、

曹操打倒の檄文を書いた事でも知られる陳琳あたりは有名ですね。

白眼(白眼視)&青眼(青眼視)

阮籍が母親の喪に服していた時に、嵆喜けいきが礼儀作法に則って弔問してきたのですが、

阮籍は白目を向いて対応したので、嵆喜は激怒して帰ります。

 

その事を聞いた嵆康(嵆喜の弟)は、酒と琴をもって阮籍を訪問したのですが、

阮籍は喜んで青眼(黒目)で歓迎したという逸話が残されています。

 

 

この事から冷たい目つきで、もしくは嫌悪感のある目つきで相手を見る事を白眼といい、

好意的な目つきをすることを青眼と呼ぶようになったといいます。

 

一般的には白眼を白眼視、青眼を青眼視として使われる事が多いですね。

 

 

ちなみに「魏志」王粲伝に阮籍についての記録が収束されていますが、

白眼・青眼についての逸話が残されているのは世説新語というものになります。

 

世説新語は後漢末期から東晋の時代までの人物の逸話を収録したものであり、

宋(南朝)の臨川王であった劉義慶りゅうぎけいが編纂したものです。

 

ここには曹操や諸葛亮などの逸話も収録されており、

阮籍の逸話以外にも、嵆康・山濤・劉伶・阮咸・向秀・王戎ら他の竹林の七賢についての逸話も収録されてます。