何晏かあん大将軍であった何進の孫にあたる人物です。

 

 

また何晏の母親である尹夫人は、

旦那が亡くなったことで未亡人だったのですが、

 

たまたま曹操の目にひっかかり、

曹操の側室に迎えられた女性です。

 

 

曹操は愛した女性の子も自分の子と同様に大事に育てており、

 

尹夫人の連れ子であった何晏もまた、

曹操の実子であった曹丕や曹植同様に大切に育てられています。

何晏(かあん)

何晏は、後に曹操と再婚する事になる尹夫人の息子として、

また何進の孫としてこの世に生を受けています。

 

 

ちなみに何進の息子で、

何晏の父親は何咸かかんという人物です。

 

ただ何晏の父親である何咸は、

三国志正史にも演義にも登場していません

 

 

ではどこに登場しているかというと、

「論語集解」に名前だけ登場している感じですね。

 

 

 

ただ何進や何咸が殺害されると、

尹夫人や何晏は途方にくれてしまいますが、

 

曹操に見初められて尹夫人が再婚を果たしたことで、

何晏は曹操の養子になることに・・・

 

 

何晏は才能に恵まれていたのですが、少し調子に乗った面も持っており、

太子(跡継ぎ)の服装をよく真似て着ていたといいます。

 

 

またそれだけではなく、変わった一面もあったようです。

 

とりあえず何晏は己が好きすぎて、

よく白粉を顔に塗って出かけていただけでなく、

 

自分の顔がどこででも見れるように、

常に鏡を持ち歩いていたようです

 

 

 

また何晏は外を歩く際には、

自分の影を踏まないように歩いていたのですが、

 

その理由は、自分の影を踏んでしまうと、

自分の影が乱れてしまうのを嫌ったからだったといいます。

 

 

それ以外にも何晏は「五石散」という、

今でいう麻薬のようなものを愛用していたともされていますね。

 

 

そんな何晏を見る曹操の目は優しいもので、

 

曹爽は何晏を大層かわいがり、

曹操の娘であった金郷公主を妻に与えたほどでした。

 

 

 

ちなみに金郷公主の母親は杜夫人といって、

 

夫と離れ離れであった際に、

曹操に一目ぼれされて再婚した女性ですね。

 

 

また尹夫人同様に、

杜夫人にも秦朗という連れ子がおり、

 

曹操は秦朗も大層可愛がっていますね。

 

 

そして杜夫人と曹操の間に生まれた女の子が、

金郷公主ということです。

 

曹操は大事な娘である金郷公主を何晏に娶らせたわけですから、

曹爽が何晏を非常に愛していたということでしょう。

関羽と曹操に愛された女性、杜氏(とし)とは? 〜関羽から横取りして杜氏を奪った曹操〜

曹丕・曹叡時代の何晏

曹操に可愛がられていた何晏でしたが、

曹操が死んだことによりその状況が一変てしまいます。

 

 

それは曹操の跡を継いだのが曹丕だったからです。

 

「連れ子のくせに、

父親に可愛がられやがって・・・」

みたいな感じですね。

 

曹丕から冷遇された何晏でしたが、

それは曹叡に時代が変わってからも続くことになります。

 

 

 

そんな中で何晏が力を注いだのが文学面ですが、

 

その作品の中でも「論語集解」

「老子道徳論」の編纂をやったのですが、

 

この編纂が後世に与えた影響は半端ないと言えます。

蒼天航路(35巻29P)より画像引用

 

 

 

唐時代の李白・杜甫でさえ、

何晏の影響を大きく受けたと言われているほどです。

 

まぁ実際は何晏だけでなく、

曹操・曹丕・曹植など三曹七子の影響も大きく受けていますけどね。

曹操・曹丕・曹植・建安七子合わせて「三曹七子」

政治中枢での権力を手に入れた何晏

冷遇次代を過ごしていた何晏でしたが、

曹叡が亡くなって曹芳の時代になると大きく変化することになります。

 

 

曹芳の補佐役として、

司馬懿と曹爽の二人が抜擢されることになりますが、

司馬懿を邪魔に感じた曹爽は司馬懿を太傅に祭り上げて除外します。

 

ちなみに司馬懿を遠ざけるように曹爽をそそのかしたのは、

実は何晏だったと言われていますね。

 

まぁそもそもの話として、曹爽が司馬懿と並んで曹芳の補佐を任されたかというと、

大将軍であった曹真の息子だったという単純な理由ですね。

 

 

曹爽が実権を握った事で何晏の人生は大きく変わります。

 

曹爽一門であった何晏は、

散騎常侍・尚書に任命されることに・・・

 

曹丕・曹叡の時代には完全に遠ざけられていた何晏でしたが、

吏部尚書に任じられ人事全般を任されるまでに至ります。

 

まさに何晏が、政治中枢での権力を手に入れた瞬間ですね。

司馬懿のクーデターにより全てが終わる

司馬懿を遠ざけたことにより、

曹爽の時代が到来したように思われました。

 

しかし曹爽らによって追いやられた司馬懿は、

一世一代の大芝居(ボケ&重病)を打つことに・・・

 

それにまんまと騙された曹爽が、

完全に油断をして狩りにでかけたわけですが、

 

司馬懿はそれを見計らってクーデターを成功させたのでした。

 

 

これによって曹爽をはじめ、

曹爽一派は処刑されてしまいます。

 

もちろん例外ではなく、

何晏もこれにより人生に幕を下ろすことになります。

 

 

この際に何晏の一族も皆処刑されるかと思われましたが、

何晏の母であった尹夫人(亡き曹操の側室)が孫の除名嘆願を行いました。

 

 

尹夫人の聡明さを認めていた司馬懿は、

その願いを聞き入れて、

 

何晏の末子であった何某かぼうの命だけは助けてあげたそうです。

 

 

ちなみに何晏の妻であり、

杜夫人の子であった金郷公主(曹操の娘)も、

 

司馬懿に助けられたといわれています。

関羽と曹操に愛された女性、杜氏(とし)とは? 〜関羽から横取りして杜氏を奪った曹操〜

何晏・司馬懿の最後の逸話

司馬懿のクーデターによって、

曹爽らは連座の罪で処刑されてしまいますが、

 

曹爽らは最初謹慎の命令を受けており、

司馬懿は曹爽らに対する裁判を何晏にさせることに・・・

 

この時、裁判官を任せられた何晏は命が助かりたいことから、

曹爽らの罪を厳しく追及したそうです。

 

ようは簡単に仲間を売ってしまったわけですね。

 

 

 

そして何晏の言葉によって、

曹爽らの処刑が決定することに・・・

 

これによってなんとか死なずに済みそうだと思った何晏でしたが、

司馬懿は一言何晏に対して静かに言葉を発したのでした。

 

「まだその罪人の中に、

一人だけ入ってない奴がいるな!」と・・・。

 

 

これを聞いた何晏は、

それが自分であることを瞬時に悟ったといいます。

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