「三曹七子」とは!?

196年 – 220年の時代を建安時代と呼びますが、

曹操を筆頭に「五言詩」による詩文学が大きく発展したことからそう呼ばれています。

 

 

「五言詩」は、もともと漢字五字から構成されたもので、

 

漢詩の一形式である楽府がふと合わせて用いることで、

「書く詩」ではなく、「詠む(読む)為の詩」と言えば分かりやすいかもしれません。

 

ちなみに漢字四字は「四言詩」といい、漢字七字は「七言詩」といいますね。

曹操の代表作である「短歌行」などは四言詩で読まれています。

 

 

 

まさにそれが花開いたのが建安時代なのです。

 

そして発展した裏側には、

曹操の影響が強くあったのは言うまでもありませんね。

 

そして曹操に認められ、大きな評価を受けたのが、

「三曹七子」の七子に数えられる「建安七子」と呼ばれる者達です。

  • 孔融(こうゆう)
  • 陳琳(ちんりん)
  • 王粲(おうさん)
  • 徐幹(じょかん)
  • 劉楨(りゅうてい)
  • 阮瑀(げんう)
  • 応瑒(おうとう)

 

 

ちなみにですが、

「三曹」は曹操・曹丕・曹植の三人を指しています。

 

三人とも非常に文才が高かったのですが、その中でも曹植は飛びぬけており、

後の唐の杜甫・李白にも多大な影響を与えたと言われています。

 

 

三国時代での曹植は後継者争いに敗れて、

悲惨な最後を迎えただけのイメージが強いかもしれませんが・・・

 

文学面での曹植の功績は、計り知れないほどのものを後世に残したわけです。

曹植 -中国文学の神になった「詩聖」-

「火付け役」となった曹操

「完璧超人」と呼ばれるほど、様々な分野に特出していた曹操ですが、

漢詩の分野でもそれは例外ではありませんでした。

 

ちなみに「三国志」を著した陳寿は、

曹操の事を「非常の人、超世の傑」とべた褒めしています。

 

ちなみに「非常に優れた才能を持った人物で、

時代を超越した英雄」という意味です。

 

 

「三国志」に注釈を加えた裴松之も陳寿同様に、非常に高い評価を与えていますね。

 

 

そんな曹操ですが、軍事・政治面で多忙の中にあって、

多くの詩人達を各地から集めて、文学奨励に励んでいたわけです。

 

曹操の凄い所は、詩人達を集めて文学推奨をさせたことだけでなく、

自身も非常に優れた詩人であったという点ですね。

 

 

曹操は昼は軍略を整え、夜は勉学に励み、

高い所に登れば詩を作り、

 

詩ができあがれば弦にのせて音楽の歌詞にしたと言われているほど、

限られた時間の中で色んな事に励んでいたようです。

 

まさに曹操が完璧超人と言われる所以ですね。

-代表作-

  • 短歌行
  • 却東西門行
  • 歩出夏門行
  • 精列
  • 苦寒行
  • 秋胡行
  • 対酒
  • 陌上桑
  • 蒿里行

曹操(孟徳) -中華統一以上のモノを未来へ残した超人-

曹操を代表する「短歌行(其ノ一)」の内容とは!?

曹操の才能を引き継いだ曹丕・曹植

曹操の息子である曹丕と曹植ですが、

実の兄妹とはいえ、決して仲が良いという感じではありませんでした。

 

それは曹操の後継者ということで、

自分が跡継ぎ候補になりたいということで争う事も多かったのです。

 

 

これは曹丕と曹植だけに関わらず、

同じく卞氏の子であった曹彰・曹熊もそうですが・・・

 

最終的に曹丕が跡を継いだことで、

曹彰・曹植・曹熊の三人の末路は決して幸せなものでなかったことは間違いないですね。

 

 

 

ただ曹丕と曹植は曹操の陰に隠れるような存在ですが

この二人の文才も非常に高い者であり、後世に大きな影響を与えています。

 

 

もう少し二人の文才を分かりやすく言うと、

革新的な新しさがあったのが曹丕の詩であり、

 

保守的であったのが曹植の詩でもありました。

 

だからこそ新しさを追求したものよりも、

保守的であった曹植の方が、綺麗なまとまりがあったというのも事実ですね。

曹丕 -漢を滅ぼし、魏を建国した初代皇帝-

 

-曹丕の代表作-

  • 燕歌行
  • 善哉行
  • 秋胡行
  • 大牆上蒿行
  • 雑詩二首

 

-曹植の代表作-

  • 七歩詩
  • 七哀詩
  • 野田黄雀行
  • 送應氏
  • 白馬篇
  • 贈徐幹詩
  • 贈丁儀詩
  • 贈王粲詩
  • 贈丁儀王粲
  • 贈白馬王彪
  • 情詩
  • 雑詩六首

建安の七子

建安年間に曹操・曹丕・曹植の三人を中心に、

建安文学に大きな貢献をした七人の者達を「建安七子」といいます。

 

 

曹操は敵であっても優れた人物であれば、

自分の元に組み込んでその才能を非常に愛した人物でもあり、

 

その代表格と言える存在は、間違いなく建安七子の一人である陳琳だと思います。

 

 

袁紹が中原全土に曹操打倒の檄文を作らせた際には、

曹操だけでなく曹騰(父)・曹嵩(祖父)までをけなした文章で、

 

それを呼んだ曹操は発狂したとまで言われたりしています。

 

にもかかわらず、曹操は陳琳の才能を高く評価し、

陳琳を仲間にひきこんでいるのが曹操たる所以でしょう。

曹操を激怒させたことで、才能を認められた陳琳

-「竹林の七子」の作品-

孔融(孔子の子孫)

  • 臨終詩
  • 雑詩

 

陳琳

  • 公讌詩
  • 詠史詩
  • 七哀詩
  • 贈蔡子篤詩
  • 贈士孫文始
  • 贈文叔良
  • 從軍詩
  • 雜詩

 

王粲

  • 登楼賦
  • 七哀詩
  • 詠史詩
  • 寡婦賦
  • 公讌詩

 

徐幹

  • 室思
  • 答劉楨詩

 

劉楨

  • 公讌詩
  • 雑詩
  • 贈五官中郎将四首
  • 贈徐幹詩
  • 贈從弟詩

 

阮瑀

  • 咏史詩
  • 七哀詩
  • 駕出北郭門行
  • 苦雨滋玄冬詩
  • 琴歌

 

応瑒

  • 侍五官中郎将建章台集詩

 

 

さらっと建安七子の作品の一部を紹介してみましたが、

興味ある方は彼らが書いた「詩」を呼んでみるのも面白いかなと思いますね。