郭循が253年正月に費禕暗殺に成功したわけですが、
魏の刺客説であったり、あくまでも郭循の単独犯だとも言われたり、
「三国志」正史の記載も限られていることからも謎が多い事件でもあります。
その中の一説として郭循の黒幕説として姜維があげられたりもするのですが、
どうして姜維が黒幕にあげられることがあるのか・・・
ただこれは私の推測も多く含みますので、一つの説として見て頂ければなと思います。
姜維と郭循の出会い
249年に姜維が涼州西平郡を攻め、
その際に郭循は姜維に捕らえられてしまいます。
郭循は姜維から脅迫されたようですが、
姜維に従うことを拒んだわけです。
ここは個人的に不自然な文脈だと思ってます。
「蜀に降れ! さもなくば処刑するぞ!!」とでも姜維が脅したのか・・・
そして姜維の誘いを拒んでいるのに最終的には蜀に降ってますからね。
まぁここは降らなかった郭循を強制的に連れ帰り、
なんだかんだあって、最終的に郭循は降ったという事になるのかもしれません。
とにかく姜維と郭循の接点は、
この西平郡での戦いがきっかけだったのは十中八九間違いないでしょう。
姜維と郭循の密約
蜀に降ることを拒んで姜維に従わなかった郭循が、
最終的に降ったことは間違いないわけで、ここで姜維はある提案をした可能性があること・・・
それは北伐反対派であった費禕という邪魔者を消し去ることで、
姜維は自由に北伐が可能になるように郭循を利用したのではないかということですね。
また郭循にとっても、蜀の第一人者である費禕を殺害することで、
魏にとってもメリットが生まれるわけで、
双方の利害が一致するともいえます。
実際、姜維は費禕が殺害されてから、
約三カ月後にあたる四月に大群を率いて北伐を開始しています。
費禕が生存していた時は、
費禕の反対によって1万人しか兵を率いることができなかったと記録にありますし、
姜維にとっては費禕が邪魔な存在であったのも事実です。
費禕殺害の為に左将軍に推薦!?
費禕を亡き者にするためには、郭循にそれ相応の役職を割り当て、
費禕からの信頼を得る必要があります。
そういった意味でも、姜維が郭循を左将軍にするように上奏したという事ですね。
まぁ表向きは、涼州西平郡の豪族であった郭一族の影響力をつけるといったことが、
上奏する際の表向きの提案だったのかもしれませんが・・・
そして計画を実行するタイミングを静かに待ち、
費禕が梓潼郡漢寿県に赴いたのをきっけに、
費禕が宴会に郭循が自然と参加できるように裏でセッティングしていたのかもしれません。
費禕は公私をうまくコントロールできるほどの才能を持っており、
そういう逸話も多く残っている人物です。
なので定期的に宴会なども開いていたことを姜維なら当たり前に知っていたでしょう。
そして姜維のセッティングもあって費禕が開いた宴会に参加できた郭循は、
費禕殺害という大役を果たせたのかもしれません。
郭循はすぐに取り押さえられて殺されるわけですが、
姜維にとっては郭循の死によって完全犯罪が成り立つというわけです。
もし郭循が取り調べられて姜維が黒幕だと話す危険もあったと思います。
まぁそんな事を言っても、
姜維は知らぬ存ぜぬで貫き通せばいいだけの話で・・・
一つだけ間違いない事は郭循が費禕を殺害したという事実、
なので郭循がどんなことを言おうと有無を言わさず殺すことは容易だったわけです。
後に蜀が滅亡すると、それでも姜維は「蜀再興」を夢見て、
鍾会を道具として利用し、用が済んだら殺害しようと考えていましたし、
目的の為に手段を択ばないといった側面をもっていましたしね。
まぁ実際のところ、周りの者達に郭循は取り押さえられ、
有無を言わさず殺されていますから・・・
そのあたりも姜維の計算通りだったかもしれません。
姜維黒幕説の真偽
結局のところ、姜維が黒幕なのかと言う点は、
はっきりいって分かりません。理由は推測があまりにも多いからです。
ただ一つだけ言える間違いない事があるとすれば、
費禕が死んだことで姜維についていた足かせが完全に外れ、
蜀の軍勢を自分の判断で大いに使えるようになったということですね。
実際に費禕が殺害されてから、何度も何度も姜維は北伐を行っています。
これも紛れもない事実ですから・・・
実際費禕が死んだことで、魏も少なからず得したのかもしれませんが、
誰が一番得したかというと、蜀のNo2の立ち位置にいた姜維だったでしょう。
個人的には姜維黒幕説は、眉唾ものの説ではありますが、
完全に否定できない所があるのもまた事実なのです。
このあたりは実際に二人の間で密約が交わされていたとしても、
表に出ることがない情報であったはずなので、真相は闇の中という事になるわけです。
もし密約が露呈していれば、姜維は謀反の罪で処刑されているでしょうし、
処刑されないまでも免官などは免れなかったと思います。
ただあくまで最後までばれなかった・・・
結果として、姜維が実質No1の座を手に入れたからこそ、
真相は闇のままになったのかもしれませんね。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」とは本当によくできたことわざだと思います。
勝てば(成功すれば)、それが正義になるのですから!!
「まぁこういった可能性も一応あるんだよ」
ぐらいで思ってもらえればいいかなと思っています。
個人的にはやはり姜維は、
最後まで蜀に尽くした真の忠臣としていてほしいなと・・・