明時代に成立した「三国志演義」は、

「水滸伝」「西遊記」「金瓶梅」と並んで「四大奇書」と呼ばれるもので、

 

大衆に受け入れられ、大いに読まれたものです。

 

 

日本でも陳寿が著した「三国志」よりも、三国志演義の影響力が強く、

横山光輝氏の長編漫画「三国志」のお陰もあって、広く浸透しているわけです。

 

 

「三国志演義」は蜀を正統王朝としており、

劉備が主人公となっているのは多くの人達が知る所ではありますが、

 

三国志演義で蜀が正統な王朝とされたのには、

深く朱子学が影響していたことを知っている人は案外少ないのではないかと思います。

 

 

ここでは「三国志演義」に大きな影響を及ぼした朱子学についての関係性について見ていきます。

「三国志演義」とは?

そもそも「三国志演義」は、

明の羅貫中によって書かれたものだと一般的には言われています。

 

 

ただこれには他説もあり、

「水滸伝」を著した施耐庵したいあんが著したという説もあり、

 

これは現段階ではっきりとした決着はついていないのが現状です。

 

 

また「三国志演義」が誕生した明と言えば、

朱元璋に始まり、1368年から1644年まで続いた王朝です。

 

ただ1368年の際には、江南地方(南方)をまとめあげ即位しただけで、

中原をはじめ、中華の再統一を成し遂げたのは1381年になりますね。

 

 

そんな時代に誕生した「三国志演義」ですが、

劉備が起こした蜀漢を正統王朝としており、正義としています。

 

だからこそ漢王朝を滅ぼした魏(曹操・曹丕)は、

自然と悪役の立場に・・・

 

 

まさに陳寿の「三国志」が魏を正統王朝としているのに対し、

「三国志演義」は真逆の立ち位置になった物語なわけです。

 

そして当時の社会情勢も重なって、

「三国志演義」は庶民に爆発的に受け入れられることとなったのでした。

 

 

ただ「劉備が善、曹操が悪」といった考えは、

「三国志演義」で急に決められたような設定ではなく、

 

南宋時代の朱子学に大きな影響を受けているのです。

朱子学の誕生と当時の社会情勢

朱子学は12世紀の南宋時代の儒学者である朱熹しゅきによって、

儒学に新しい息吹を吹き込んだのが、一般的に「朱子学」と言われます。

 

 

朱子学が誕生した南宋は、

 

北方の女真族の侵入によって中原を支配されたことで、

南方地方に築かれた国家になります。

 

 

ちなみに女真族が建国した国が「金」という国になるのですが、

 

朱熹は「漢民族である我々が君主で、

非漢民族である女真族が臣下である」という考えを持っていました。

 

しかし南宋の者達は「金」を恐れたことで、

君主・臣下の関係が真逆になってしまっていたのです。

 

 

朱熹はこの現状がどうしても許せずに、朝廷に金を攻めるように進言しますが、

これが聞き入れられることはありませんでした。

 

この時のどうしようもない想いをぶつけたのが、三国志だったわけです。

朱子学が三国志に及ぼした影響

大義名分を尊ぶ朱子学は、

中原回復を成し遂げようとした蜀漢を南宋と重ねたのでした。

 

その中で懸命に中原回復の為に生きた諸葛亮の行いを「義」としたのです。

 

 

そしてその考えは、

朱熹が著した「通鑑綱目つがんこうもくにも影響を与えることとなります。

 

これはもともと司馬光の著した「資治通鑑」という歴史書を、

独自の視点から再編成したものが「通鑑綱目」です。

 

 

これは紀元前403年から960年までの歴史書であり、

朱熹はこの歴史書で蜀漢を正統王朝としたのです。

 

この思想は南宋という国家全体に広がりを見せていくことになり、

初めて魏から正統王朝という地位を奪えたのでした。

 

 

なぜなら陳寿の著した「三国志」によって、

魏が正統王朝だと長らくされてきたわけですから・・・

 

おそらく南宋という国家にこれが当たり前に受け入れられた背景には、

自分達の現状がまさに三国時代の蜀漢と被るものがあったからに他なりません。

「三国志演義」の誕生

朱熹と弟子との会話が収録されている「朱子語類」では、

 

「義によって国家形成を目指した人物は諸葛亮以外に一人もいない」

といった諸葛亮に対しての言葉も残っていますね。

 

 

朱子学が南宋に広く受け入れていく中で時代が流れ、

金がモンゴル帝国(元)によって滅ぼされます。

 

そして南宋も元の脅威を退けることができずに滅ぼされてしまいます。

 

 

そんな中でも、元王朝の中で科挙が再開されたのですが、

 

そこで朱子学が国学として認められ、

朱元璋によって起こされた「明」にもそれは引き継がれていくこととなります。

 

 

そんな情勢の中で生まれた「三国志演義」が、

朱子学の影響から蜀漢を正統とした物語になったのは当然の流れですし、

 

朱子学の中で大きな評価を受けていた諸葛亮が、

物語の中で神がかり的なフィクションを多く付け加えられたのも自然な流れだったわけです。