関羽死亡の戦犯として、 糜芳同様に扱われるのが今回紹介する傅士仁になります。 関羽以外の誰かを戦犯というなら 糜芳というよりも高い確率で傅士仁が挙げられますが、 実際は完全に関羽が戦犯だと思う […]
「蜀」の記事一覧(8 / 17ページ目)
糜芳 -曹操・劉備・孫権から評価されるも、不運が重なった劉備の恩人-
関羽の死因の一つとしてまとわりつく人物に、 必ずといっていいほど糜芳が取り上げられることが多いですが、 糜芳が世間一般で言われるように、救いようのないないほどの人物なのか、 ここではそんな糜芳の生涯を見てい […]
周倉 -物語から現実世界へ飛び出した忠義の士-
三国志で関羽を思い浮かべた際に、 周倉という人物を同時に思い浮かべる人も多いのではないでしょうか? そんな周倉について、ここでは見ていきたいと思います。 周倉(しゅうそう)と関羽の出会い 横山光輝三国志(1 […]
贋書の計(がんしょのけい)
贋書の計(がんしょのけい)が用いられた経緯 横山光輝三国志より(20巻166P・167P・168P)画像引用 三国志の中でこの計略がでてくるのは三国志演義での話になります。 新野の劉備に仕えて […]
異民族や賊討伐のスペシャリストであり、諸葛亮の南征のモデルとされた張嶷(ちょうぎょく)
張嶷(ちょうぎょく) 張嶷は益州巴西郡出身で、張嶷の家は貧しい生活をしていたようです。 ただ張嶷は、若かりし頃から見どころのある人物で、 ある時山賊が暴れており、そこを任されていた県令が家族を逃げる事件が起 […]
張嶷が夏侯覇を「親友」と認めた三年越しの絆
定軍山の戦いで黄忠に討ち取られた夏侯淵の息子であった夏侯覇(かこうは)は、 魏の名門夏侯一族ということもあり、魏の中で順調に出世をしていきます。 その上、夏侯覇は弓馬の腕に秀でていた夏侯覇は、 父であった夏 […]
第一次北伐で降伏した梁緒・梁虔・尹賞のその後の人生
諸葛亮(孔明)が第一次北伐を開始した際に、 天水太守であった馬遵(ばじゅん)が見回りをしていました。 住民が蜀に呼応するような動きがみられ、 その動きを知って恐れた馬遵は、 役所があった冀城を […]