曹操の魏公就任 これまでの曹操は三公を廃して丞相府を設置し、 曹操自身は丞相じょうしょうに就任していましたが、213年に魏公に任じられたのでした。 曹操が三公を廃止した理由はいくつかあるのですが、 司空・司 […]
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⑩劉備が益州攻略を成し遂げ、天下三分の計の実現
荊州南部を獲得して土台を築く 赤壁の戦いで勝利した劉備・孫権軍でしたが、 劉備は領地をもってない放浪軍といっても過言でない立ち位置でした。 そこで劉備は、なにがなんでも領地獲得が目先の必須事項であり、 荊州 […]
⑨劉備・孫権連合軍、赤壁で曹操を迎え撃つ
曹操の南方攻略開始&荊州の動向 曹操が袁家を滅ぼし、北方の憂いが無くなった事がきっかけとなり、 天下統一を成し遂げる為に南方制圧に動き出します。 まずは曹操は荊州を治める劉表の領地に向けて軍を進めました。 […]
麦城に籠城中の関羽が諸葛瑾の降伏勧告を拒否した真相は!?
「三国志演義」に描かれる関羽の最期 横山光輝三国志(42巻60P)より画像引用 魏と呉の挟み撃ちにあってしまった関羽は、 公安城の傅士仁だけでなく、 荊州の本拠地である江陵城を守る麋芳までもが […]
孫権が張昭の家を燃やすまでに発展した大喧嘩!
「江東の二張」と呼ばれた賢人 孫策の時代に「江東の二張」と呼ばれた二人の賢人がいました。 その二人は張紘・張昭といいます。 この二人は孫策からの懇願もあって、 孫策に仕えることになりますが、 […]
「三国志演義」「正史」から見る関羽と魯粛の単刀赴会
「単刀赴会たんとうふかい」とは、 「単刀をもって会に赴く」を略した四字熟語になります。 「単刀赴会」は赤壁の戦いの後に、 劉備と孫権がもめにもめた荊州での領土問題を解決すべく、 関羽と魯粛が話 […]
天下三分の一端を担った孫権(仲謀)
三国志の主人公と言えば、 間違いなく魏(曹操)と蜀(劉備)と並んで名前があがるのが呉(孫権)だと思います。 孫権の父であった孫堅、孫権の兄であった孫策、 どちらも志半ばで短命でしたが、 &nb […]