劉備、放浪の始まり

劉備は三国志の主人公の一人で、

黄巾の乱に、関羽・張飛と共に義勇軍として参加し、

 

黄巾の乱が治まった後は、

その功績から、小さな町の役人に任命されますが、

役人たちの腐敗がひどく、やってられないと野に下ります。

劉備の将来性を見抜いて、実子と同じ待遇をした劉元起

公孫瓚の元に身を寄せる

野に降った劉備ですが、

その後、面識のあった公孫瓚(こうそんさん)の元に身を寄せます。。

 

その後徐州の陶謙が曹操に攻められ、

公孫瓚に援軍を求めてきます。

 

その際に

公孫瓚の代わりに援軍に向かったのが劉備でした。

これにより公孫瓚の元を離れます。

徐州の太守になる

劉備が陶謙の援軍に到着し、

曹操軍の攻撃ををなんとか凌ぎます。

 

戦が長引くにつれ、食料も限界に近付いてきた曹操は、

一旦退却し、翌年に再度攻めてきます。

 

そして、曹操軍がこれから徐州を攻撃しようとした矢先、

曹操の配下であった陳宮・張邈(ちょうばく)が裏切り、

呂布を呼び寄せて、曹操の領地を奪います。

 

それによって曹操は、

退却を余儀なくされてしまいます。

 

そしてそんな時に、徐州の太守だった陶謙が病死してしまいます。

そこで陶謙の後を継いだのが劉備でした。

劉備に徐州を譲った陶謙

 

ここではじめて、

きちんとした自分の領地を獲得したのです。

棚から牡丹餅みたいな感じですね。

呂布の受け入れ&裏切り

曹操の背後の領地を襲った呂布ですが、

引き返してきた曹操軍に敗れ、野に降ります。

その際に劉備に助けを求めます。

 

劉備はそれを承諾し、

呂布と協力して、曹操と当たる事を決意します。

 

しかし、その後呂布に裏切られ、領地を奪われてしまいます。

また自分の領地を失ったわけです。

曹操と協力して呂布を討伐

呂布に裏切られた劉備は、

その後それまで敵対関係にあった曹操の元を訪れ、

恥を忍んで、曹操の元に身を寄せます。

 

そしてその後、

曹操と劉備は呂布を討伐しています。

曹操暗殺計画に参加

曹操に世話になっていた劉備ですが、

董承(とうしょう)により曹操暗殺計画の話を持ち掛けられ、

それに参加してしまいます。

 

しかし、曹操暗殺計画が漏れた事により、

劉備は曹操の元を急ぎ、逃亡します。

袁紹の元に身を寄せる

曹操の元をなんとか逃亡した劉備ですが、

関羽・張飛とはぐれてしまいます。

 

そんな劉備ですが、

そのまま袁紹の元に身を寄せます。

曹操と袁紹の戦いに伴い、袁紹の元を去る

袁紹と曹操の間で、戦争が勃発すると、

劉備も一緒に参加しますが、

 

途中で曹操軍に仕えていた関羽と遭遇すると、

袁紹の元を去る事を決意します。

 

そして劉備は、袁紹に対して、

「曹操と対抗するため、劉表と同盟を組んだ方が良い」という提案を出し、

袁紹はその提案を受け入れ、劉備はそれを口実に袁紹の元を去ります。

 

袁紹の元を離れた劉備ですが、

曹操の元にいた関羽も劉備の元へ戻る事を許され、二人は合流します。

その後、張飛とも合流しています。

関羽が千里行の末に、劉備の元に帰参した話って本当なの?

劉表の元に身を寄せる

袁紹の元を離れた劉備・曹操の元を離れた関羽・そして二人に合流した張飛ですが、

この時に趙雲という関羽・張飛にも劣らない豪傑が味方に入ります。

そしてその後、劉表の元へ身を寄せます。

 

劉表が治めていた荊州(けいしゅう)は、

非常に平和な国で、劉備も数年のんびりとそこで過ごしていました。

ここで生まれた言葉に「髀肉の嘆」があります。

髀肉の嘆(ひにくのたん)

諸葛亮との出会い

荊州でのんびりと平和に過ごしていた劉備ですが、

ここで劉備の運命を大きく変える諸葛亮(孔明)と出会うことになります。

 

ここで生まれた言葉に「三顧の礼」「水魚の交わり」があります。

一度は誰もが聞いた事がある言葉かもしれません。

三顧の礼

水魚の交わり

 

諸葛亮との出会いがなければ、

最終的に劉備は、曹操に討たれていた可能性も高いです。

 

そして蜀の国は建国されずに、

三国時代の到来せず、大きく歴史は変わっていたかもしれません。

 

とにもかくにも、諸葛亮との出会いをきっかけに、

鳴かず飛ばずだった劉備が一大勢力を築けたのだけは間違いありません。