簡雍(かんよう)

劉備が旗揚げ時から付き従ってきたのは、

関羽・張飛のみであるみたいなイメージが非常に強いですが、

実は簡雍も劉備と同郷出身で、関羽らと出会う以前から面識があったようです。

 

そんな簡雍はどんな人物なのかというと、

実際関羽や張飛のように強いわけでもなく、兵を率いたりもしていない。

 

内政能力に優れていたわけでもない。

とにかく活躍という活躍がなく地味な存在でした。

 

 

じゃあ何も仕事してない人物かといえばそうなりますし、

劉備の話し相手になることが仕事といえばそうかもしれません。

 

簡雍は非情におおらかで落ち着いた性格の持ち主で、

不思議と惹きつける何かを持っていたようで、

誰に対しても失礼とも取れかねない態度で接していました。

 

例えば劉備の前でだらしない振る舞いをしたり、

諸葛亮を前にしても長椅子を占領して寝そべって話していたというような記録も残っています。

 

実際それで何かトラブルを起こしたかというと、

そんな事は一度もなかったようですね。

 

 

普通なら完全に処罰されても不思議じゃない気がしますが、

「簡雍ならまぁいいや」と劉備が許せるような間柄だったのでしょうね。

 

そしてそれを見ていた家臣一同、

自然と「簡雍なら仕方ない。それが当たり前。」といった感じだったのかもしれません。

簡雍最大の功績

蒼天航路(29巻222P)より画像引用

 

そんな何もしてないような簡雍ですが、

劉備が入蜀し、成都を包囲した時にここぞとばかり大きな仕事をします。

1人ふらっと成都へ出かけ、劉璋に降伏するように説得します。

 

実際は劉璋を説得というより、降伏という言葉を出さず、

単純に世間話をしていただけだったといいます。

 

 

当初劉璋が劉備を招いた際に、

劉璋は100日間、劉備の為に宴会を開いています。

 

その時に劉璋は、劉備の多くの家臣らと話をしますが、

簡雍をいたく気に入ったようで、別れの際は悲しんだそうです。

 

降伏の使者がそんな簡雍だったからこそ、

劉璋は気を許し、降伏を決意したのかもしれません。

 

 

実際成都には、

長期戦で戦えるだけの食糧や武器が蓄えられていました。

 

しかし最終判断で降伏したのは、

簡雍と話すうちに気持ちの変化が起きた事は間違いありません。

 

劉璋が降伏したこの瞬間、

曹操・孫権・劉備の三国時代が幕開けしたのです。

ユーモアたっぷりの劉備との逸話

 

干ばつが続いていた時に、

劉備が禁酒令が出したことがありました。

 

そして酒を造る為の道具を持っていただけで、

禁酒令に違反していると逮捕される事件が起こりました。

 

 

そんなある日、劉備と簡雍が街を歩きます。

 

簡雍は、歩いていた男女二人を見て、

「あの二人は淫行の罪を犯そうとしてるので捕らえるべきだ」と言います。

 

劉備が「何故そんな事が見ただけで分かるのか?」と答えると、

簡雍は「あの二人は淫行の道具(性器)を持っていますから。」と返します。

 

これを聞いた劉備は大笑いし、

酒を造る為の道具を持ってただけで捕らえられた者達を許したそうです。

 

簡雍だったからこそ、

劉備にも響いたやり取りだったのかもしれませんね。

三国志演義での簡雍

 

劉備が義勇軍を率いて旗揚げをしたときから、

関羽・張飛と共に従った一人として登場します。

 

そんな簡雍ですが、

演義でも出番はなかなかありません。

 

やっとその出番が回ってきたかというと、

長坂の戦いで曹操軍から逃げている途中で負傷し、

趙雲に助けられて、一命をとりとめたという感じでした。

 

そして正史同様、

劉璋を降伏させる為の使者として簡雍が登場します。

 

しかし簡雍の態度は、一般的に見たら無礼すぎるので、

簡雍の態度を見た劉璋家臣の秦宓(しんふく)に注意される事がありました。

 

注意を受けた簡雍は、

自分の態度の悪さを素直に謝罪するという一面も描かれています。