「李氏の三龍」のはみ出し者

 

蜀に仕えた三人の優れた兄弟のことを指して、

「李氏の三龍」と呼ばれていました。

  • 二男の李朝(りちょう)
  • 三男の李邵(りしょう)
  • 四男の弟(名前不明/成人前に死去)

 

三人とも優れた才能を持っていたのですが、

それぞれに蜀に仕えて後、短命だった為かあまり記録が残っていません。

「李氏の三龍」と呼ばれた李兄弟/李朝・李邵・名もなき弟

 

そして今回は、「李氏の三龍」に入れなかった長男についての話です。

 

前もっていうと、この長男は落ちこぼれというか、

完全に空気が読めないどうしようもない人物だったんです。

 

おそらく諸葛亮らも、なんで四兄弟で、

一人だけこんなやばいやつが生まれたのと思ったかもしれませんね。

 

 

その長男の名前は、李邈(りばく)というんですが、

他の三名より多くの記録が残っています。やばい記録ばかりですが・・・。

 

おそらく李邈ほど、KY(空気読めない)伝説残した人は、

いないんじゃないかなと個人的には思ってます。

 

まぁ後世に伝説を残した時点で、

ある意味勝ち組なのかもしれませんけど(笑)

李邈のKY伝説①(劉備編)

李邈は最初劉璋に仕えているのですが、

劉備が劉璋を降して、益州を支配下に置きます。

 

ある酒宴の席で、李邈が劉備に酒を注ぐ役をしていた時に、

「劉璋から張魯討伐の為に兵を借りたのに、

その兵を使って益州を手に入れたのは仁義に反してますよね」

と劉備に話しかけます。

 

劉備はそれに対して、

「そう思うのなら、何故そなたは劉璋を助けなかったのか?」と返します。

 

李邈は答えます。

「自分には力がなかったから、どうしようもなかったんですよ」

 

 

これを聞いた劉備は、黄権・張任・厳顔など、

劉璋の為に戦った者達が沢山いたのを知っていただけに、

李邈の発言に激怒してしまい、処刑を命じます。

 

しかし諸葛亮によって擁護されて、なんとか処刑を免れる事となりました。

劉備の入蜀に賛成したor反対した劉璋臣下

李邈のKY伝説②(諸葛亮編)

 

諸葛亮が出師の表を上奏して出陣した第一次北伐、

結果は馬謖の命令違反が原因で、敗北してしまいます。

 

馬謖の罪は重く、

悩んだ挙句に諸葛亮は馬謖を斬ろうとします。

 

その際に李邈は、馬謖の処刑が執行される寸前に、

「昔、楚の成王は、名臣を殺してしまったから、

結果的に滅んでしまったんですよ。

だから馬謖の処遇についてどうしたらいいか分かりますよね!?」

と言って、馬謖の死刑をやめるように諸葛亮に進言します。

 

それを言われた諸葛亮は、

「お前に言われなくてもそんな事分かっているわ、すっこんでいろ!

もうお前の顔などみたくない」と言い、成都へ強制的に返します。

ちなみにこの時、免官などはされていません。

 

 

まぁ馬謖の処刑に蒋琬なども反対していたし、

向朗(しょうろう)等も馬謖を庇ったりしていました。

 

向朗なんかは、このことが原因で免官させられています。

後に復職するんですけど、向朗の免官は完全にとばっちりな気もします。

 

とりあえず諸葛亮が決めた事に反対したからなのか、

李邈の言い方が悪かったせいか、処刑寸前でそういう事を言ったせいか、

諸葛亮の機嫌を完全に損ねてしまった李邈でした。

李邈のKY伝説③(劉禅編)

諸葛亮から「お前の顔なんて見たくない」と言われて、

おそらく諸葛亮に対して恨みを抱いたのでしょう。

 

諸葛亮が五丈原で死んでしまうと、

劉禅はじめ、多くの家臣達が喪に服し、諸葛亮の死を悲しんでいました。

 

 

そんな時に李邈が悲しんでいる劉禅に対して、次のように述べます。

「諸葛亮なんかに沢山の兵を預けていて危なかったですね。

あいつは謀反をいつも考えていたんですよ。

 

諸葛亮が死んでくれたお陰で劉禅様も安泰だし、民衆はみんなうまい飯が食えますね。

おめでとうございます」

 

 

劉禅は周りに染められる程の純粋な人物であり、

劉備から「私の死後は、諸葛亮を父と思って接しなさい」と遺言を受けていたこともあり、

諸葛亮には絶大なる信頼をしていました。

劉禅は白布の如し

 

だからこそ劉禅は、

内政・軍事と全てを諸葛亮に一任していましたし、

その結果として、蜀という国を安定させることができました。

 

その諸葛亮が死んで嬉しいだのと堂々と言ってきた李邈に対して、

劉禅は心の底から激怒し、李邈を牢に投げ込んで、処刑してしまいました。

あの温厚な劉禅を激怒させて死刑とまで言わせるのだから、本当にたいしたもんですよ。

 

普段怒らない人が怒ったら怖いと言いますが、

多分この時の劉禅はそんな感じだったんだと思います。

 

もう李邈に関しては、何と言っていいやら、

完全にネタでしかありませんね。