劉伶(りゅうれい)
劉伶は「竹林の七賢」に数えられた一人です。
そんな劉伶ですが、
「竹林の七賢」の中でも特に変わった生涯を送っているんですが、
劉伶は身長が六尺(140cm程度)と非常に小柄な体格で、
酒が大好きなことから酒にまつわる様々な逸話が残っています。
三国志の世界でも特に酒好きとして有名な人物は何人もいますが、
劉伶は全く負けていません。
劉伶の酒好きは半端なものではなく、
移動中でさえ酒壺を手に持って飲んでいられるように、
手押し車に乗って酒を飲みながら、押してもらっていました。
阮籍が役所の任についた時には、役所に置いてあった酒を一緒に飲もうと誘われ、
すぐに阮籍の招きに応じて、役所の酒を勝手に飲みまくったそうです。
全裸になる癖
また劉伶は酔っぱらうと、家の中で服を脱いで全裸になる癖があり
ある者に「服ぐらいは着た方がいいのでは!?」
と言われたこともありました。
そういわれた劉伶は、
「私は天地を家と思っているし、家の屋根を服や褌だと思っている。
その上に服を着る必要などあるのか?
逆にあなたは、私の服や褌に入り込どんでいるが失礼ではないか?」
と意味不明な返しをしています。
また劉伶は、自分が死んだ時には、
その場にそのまま埋めてくれと常々言っていたようです。
なので付き添いの者に、死んだ時にいつでも埋めれるように、
穴を掘るための道具を持ち歩かせていたようです。
妻を利用して酒を飲む
劉伶が二日酔いにかかり、喉が渇いた事を理由に妻に酒を求めると、
妻は夫である劉伶を心配して、酒器を壊して
酒をやめるように劉伶を説得しようとしたことがありました。
妻から酒を止めるように言われた劉伶は、
「酒をやめたいが、自分から酒を止める事なんてできない。
だから神様の前で誓いを立てて禁酒しようと思うので、酒と肉を準備して欲しい」と言います。
劉伶の言葉を聞いて喜んだ妻は、急いで酒と肉を準備しました。
しかしこれは劉伶が酒を飲みたいが為についた嘘であり、
「私は生まれてから酒のお陰で有名になることができた!
一回に一斛(=十斗)を飲むのに、その半分の五斗ならほんの酔い醒ましにすぎない!!
妻の言葉など聞くはずがなかろう」
と言って妻が準備してくれた肉を食らい、酒を飲み干したそうです。
そして満足した劉伶はそのまま眠ったといいます。
劉伶著書「酒徳頌」
劉伶が残した著書に「酒徳頌」というものがあります。
これは劉伶らしい著書で、酒の事を褒めたたえたもので、
それがそのままこの著書の題材(タイトル)として使われています。
ここに大人先生という人物が登場しますが、
これは己自身、つまり劉伶のことを置き換えた人物になります。
大人先生は、天地ができたのも1日程度、1万年なんて一瞬といい、
太陽と月は戸口と窓のようなものだとみなしていました。
大人先生は、どこかへ行く時にはいつも決まった道を通らず、
また決まった家すら持っておらず、
大人先生にとっては、
「大空が屋根、大地が敷いた筵(布団)」だという感覚でした。
だから大人先生は、自由気ままに行きたい所に行って、その場で寝ていたようです。
大人先生は、普段座っている時は、大きな盃を持って酒を飲み、
出かけるときにすら酒壺や徳利を持ち歩いており、酒を飲む事だけが自分自身の役目だと思っていたようです。
ある時、大人先生の評判を聞いて訪れてきた二人がおり、
大人先生と議論しあうことがありました。
二人は、大人先生の言っている事があまり理解できなかった者達に、
大人先生は出かけていき、礼法について非難して怒ったようです。
そして酒を飲むと、両足を大の字にして地面に寝っ転がり、
酒樽を枕にし、麹を地面に広げて敷布団の代わりとしたといいます。
大人先生は酔って寝ているだけかと思うと、いきなり目を覚まし、
また耳を澄ませて音を聞いているかと思うと、雷の音すら耳に入っておらず、
目を凝らして何かを見ているかと思うと、泰山すら目に入っていなかったのです。
当時中国では、雷は形なきものの大きなものの代表的な存在であり、
泰山は、形あるものとして大きなものの代表的な存在であり、
それを例に使って取り入れたのでしょうね。
その二つの大きなものが耳に入らず、
目にも入らないぐらい大人先生が立派な人物だったことを言いたかったのだと思います。