先見の明(先見之明)

「先見の明」という故事成語(四字熟語)がありますが、

将来(未来)のことを見通す事ができる能力などとして使われます。

 

今では当たり前のように使われる事の多い言葉ですが、

この語源の誕生が三国志の時代であった事はあまり知られていません。

 

この語源が誕生したのは、楊彪という人物を由来とします。

「鶏肋」という言葉で知られる楊修の父親ですね。

 

 

ちなみに名門と言えば、四世三公で知られる袁紹・袁術などで知られる袁氏が有名で、

袁紹まで含めると五世三公を歴任した一族になります。

 

ちなみに袁術は三公を通り越して皇帝まで上り詰めてますが・・・

 

 

ただ袁氏に及ばないまでも、楊彪・楊修も名門中の名門の一族であり、

楊彪まで含めると四世三公の一族になります。

 

また三公の中でも大尉を四人とも歴任している事から四世大尉と呼ばれたりもします。

  1. 楊震(大尉・司徒を歴任)
  2. 楊乗(大尉を歴任)
  3. 楊賜(司空・司徒・大尉を歴任)
  4. 楊彪(司空・司徒・大尉を歴任)

先見の明(先見之明)の由来

楊彪は曹操、そして息子である曹丕に仕えた人物ですが、

息子の楊修は曹操によって処刑されてしまいます。

 

これがきっかけで、楊彪は痩せていったわけですが、

この時に曹操が楊彪に痩せた理由を尋ねます。

 

これに対して、楊彪は次のように語ったわけですが、

この時の言葉が由来となって誕生したのが「先見の明」になります。

「後漢書」楊彪伝

愧無日先見之明猶懐老牛舐犢之愛

 

私には金日磾きんじつてい殿のような先見の明を持ち合わせていなかったが理由であり、

老牛が子牛を舐めて愛おしむようなもので ございました。

(私が息子を溺愛していたからに他なりません。)

 

この時の楊彪の言葉から、

先見の明(先見之明)という単語が使われるようになりました。

 

ちなみに先見の明だけではなく、「舐犢之愛しとくのあい舐犢の愛)」という故事成語もまたこの時に誕生した言葉になります。

親が息子を溺愛するといったような意味合いですね。

金日磾なる人物

金日磾は前漢時代の武帝(劉徹)に仕えた人物ですが、

もともとは匈奴の休屠王の太子だった人物でもあります。

 

金日磾は次第に武帝に信頼される人物へと成長していき、最終的に金姓を賜りました。

そして武帝の臨終の際には、前漢の第八代皇帝となる昭帝の補佐を任されるまでとなります。

 

ただ金日磾はその後一年余りで亡くなってしまうわけですが、

彼には次のような逸話が残されています。

金日磾の二人の息子は、武帝に大変に可愛がられました。

 

しかし二人の息子が遊び盛りとなると、慎みを忘れた言動を取るようになっていきます。

その様子を見た金日磾は嘆き、二人を殺害したのでした。

 

このような金日磾の逸話があったからこそ、

楊彪は自らの比較対象として金日磾の名を挙げたのでしょう。

 

ちなみに金日磾の子孫は、劉備に滅ぼされた金旋、

はたまた曹操殺害計画を立てた金禕だったりするのは余談です。