幼い頃の曹叡
曹叡が5・6歳だった頃から
才能が豊かで、博学多才でした。
その中でも記憶力に関しては非常に優れていて、
一度見たり聞いたりした事は忘れなかったと言います。
そんな才能豊かな曹叡を、曹操に非常に可愛がっていました。
その為、「曹丕の跡を継ぐのは曹叡しかいない」
とべた褒めしたとかいう話もあります。
曹丕と曹叡
曹叡は、父である曹丕とともに狩猟に出かけた事があります。
その際に子鹿を連れた母鹿に出くわした際、
曹丕は弓を放ち、母鹿を仕留めます。
そして残った子鹿を曹叡に射らせようとします。
その際に、曹叡は涙を流します。
そして父である曹丕に対して次のような言葉を言っています。
「父上が母鹿を殺してしまったのに、
子鹿まで殺すような事は私にはできません」と・・・。
これだけ聞くと単に優しい子だなと思うかもしれませんが、
この言葉には父である曹丕に対する皮肉が込められていたのです。
曹叡の父親は曹丕ですが、
母親は甄姫(甄皇后)といい、曹丕が自殺に追い込んだ事がありました。
これを聞いた曹丕は、
即座に持っていた弓矢を捨てたといいます。
このことがあってから、
曹叡の才能を感じた曹丕は、曹叡を太子(跡を継ぐ者)にしています。
曹叡即位
曹丕がこの世を去ると、
太子である曹叡が跡を継いで即位します。
その時の魏の体制は以下のようになっています。
〈上公〉
- 大将軍(曹真/そうしん)
- 大司馬(曹休/そうきゅう)
- 太傅(鍾繇/しょうよう)
〈三公〉
- 司空(陳羣/ちんぐん)
- 司徒(王朗/おうろう)
- 大尉(華歆/かきん)
上記以外には司馬懿を驃騎将軍に任命しています。
そして曹真は対蜀対策として関中に、
曹休は対呉対策として淮南郡に、司馬懿は荊州・豫洲方面を任されています。