曹操を支えた曹洪(子廉)
曹洪は曹操の従兄にあたり、
曹操が挙兵した時から曹操を補佐した重臣の一人です。
曹操が董卓を追撃して,
董卓配下であった徐栄に返り討ちにあってしまった時には、
「天下に私がいてもいなくても問題ないですが、
曹操という人間がいないことがあってはならない!!」
と言いつつ、馬を失った曹操に自分の馬を譲った逸話も残っています。
ちなみに曹洪は徒歩のまま、曹操と共になんとか逃げ切る事に成功しています。
曹丕と曹洪(絹の話)
ある時に曹操の息子の曹丕から、
「絹を百匹(=二百反)貸して欲しい」
と曹洪に対して言ったことがありました。
※一匹=二反=二十三メートル
しかし曹洪は曹丕の願いを普通に断った事で、曹丕の心の中で長らく根に持たれることとなります。
220年に曹操が亡くなると、曹丕が跡を継ぐことになるのですが、
過去に絹を貸してくれなかった恨みを、
「ここぞ!」とばかりに爆発させたのでした。
ただ無実の罪で処罰するわけにはいかないので、
曹洪を貶めるようなことがある機会を静かに待ったのでした。
そしてその機会は早くにやってくることに・・・
曹洪の食客が罪を犯してしまった事を口実に、連座の罪で曹洪を処刑しようとします。
これまでの曹洪の数々の功績を考えると、配下の者達から次々と反対されています。
しかし曹丕は聞く耳を持つことはありませんでした。
この際に曹真からも反対されているわけですが、曹丕は聞く耳を持たなかったようです。
どれだけ曹丕が曹洪の事を恨みに思っていたかがよく分かる話ですね。
卞太后に助けられた曹洪
曹丕の母親である卞太后が、
「もし子廉(曹洪)がいなかったら、
今の曹家はなかった・・・」ということを告げると共に、
曹丕が寵愛していた郭皇后に対して、
「もし子廉が処刑されることにでもなれば、
お前をすぐにでも廃后にするぞ!!」と強く脅したのでした。
これに怯えた郭皇后は夫である曹丕に対して、
「曹洪殿をどうか処刑されないでください」
と泣きじゃくった事で、最終的に曹洪の処刑は中止されます。
そして曹洪は、死罪を免れることができたのでした。
ただこれまで曹洪が与えらていた所領と爵位を全て没収されています。
また曹操以上に財産を貯め込んでいた事でも知られる曹洪ですが、
その財産も全て没収されたのでした。
そして曹丕の曹洪に対するこの処遇に対して、
「多くの者達はこの処遇に納得することはなかった」といいます。
曹丕の崩御&曹叡の即位
曹丕が崩御すると、息子であった曹叡が跡を継いでいます。
曹叡は曹洪を後将軍に任命し、「楽城侯」に封じられたといいます。
そして以前ほどの領邑が戻る事もありませんでしたが、曹洪は千戸の領邑を与えられていますね。
またそれだけではなく「特進」を加えられ、
驃騎将軍に改めて任命されたのでした。
この点だけを見ても、曹洪の過去の功績を全て無視して、
食客の不始末のみで処刑しようとした曹丕・・・
そして処刑こそしなかったものの、所領と爵位を全て没収した曹丕の行動は、
決してまともな判断ではなかったことの一つの証明と言えるでしょう。
人の恨みは怖いもので、相手が皇帝だと考えると尚更ですね。