絵に描いた餅(画餅・絵餅)
絵に描いた餅は、魏の二代皇帝にあたる曹叡に由来する故事成語であり、
画餅や絵餅とも呼ばれるもので、これに関することは「魏志」盧毓伝に残されています。
ちなみに盧毓の父親は劉備の師でもある盧植になります。
これはどんなに上手な餅の絵が描かれていたとしても、
実際にその餅を食べることはできないことから役に立たない事を意味します。
またこれに似た故事成語に「画餅に帰す」という言葉がありますが、
これも同じような意味になりますね。おそらく派生して誕生した言葉なのでしょう。
絵に描いた餅(画餅・絵餅)が登場する「魏志」盧毓伝 -原文&翻訳-
前此、諸葛誕、鄧颺等馳名譽、有四窗八達之誚、帝疾之。
諸葛誕や鄧颺らは名声を馳せ、 「四聡八達(四人の聡明な人物と八人の達人)」と呼ばれていた。
時舉中書郎、詔曰。 当時中書郎を起用したが、曹叡は詔を出した。
「得其人與否在盧生耳。 「優れた人物を得られるかどうかは盧毓にかかっている。
選舉莫取有名。名如畫地作餅。不可啖也。」 官吏を登用(九品中正法/人材登用制度)する際に、名声がある者を採用してはならない。 そういう者達の名声は、画に描いた餅のようなもので、何の役にも立たないからである。」
毓對曰「名不足以致異人而可以得常士。 盧毓は答えた。「名声というのは特別な人物を招くには不十分なものであっても、 普通の人物を得る程度には役に立つものです。
常士、畏教慕善、然後有名、非所當疾也。 普通の人物は学び、善い行いをした後に、 はじめて有名になるものですから、憎むべきものではないのです。
愚臣既不足以識異人、又主者正以循名案常爲職。 私は優れた人物を見分ける能力には長けておらず、 名声を基準に普通の人物を採用するのが職務になります。
但當有以驗其後。 ただその後の事は当然把握しておく必要があります。
故古者敷『奏以言、明試以功。』 それ故に「意見を述べるには言葉をもってし、明晰な調査をするには功績をもってする」といわれるのです。
今、考績之法廢、而以毀譽相進退。 現在、業績評価制度は廃止され、非難と称賛の評判によって進退を処置しています。
故真偽渾雜、虛實相蒙。」 だからこそ本物と偽物が混乱し、嘘と真実が混ざり合っているのです。」
帝納其言、卽詔作考課法。 曹叡は盧毓の言葉を採用し、業績評価制度を作るように勅命を下したのであった。 |