曹洪(子廉)
曹洪は、曹操の従兄にあたり、
曹操が挙兵した時から曹操を手助けしていた重臣の一人です。
曹操が董卓を追撃して,
董卓家臣の徐栄に返り討ちにあった時、
「天下に私がいてもいなくても問題ないですが、
曹操という人間がいないことがあってはならない!!」
と言って、馬を失った曹操に曹洪の馬を譲ります。
その後曹洪は徒歩のまま、
曹操とともになんとか逃げ切っています。
曹丕と曹洪
ある時、曹操の息子であった曹丕から、
曹洪に対して、絹を100匹(=200反)貸してほしいと言います。
※1匹=2反=23メートル
しかし曹洪は、これを拒みます。
拒まれた曹丕は、これを根に持ちます。
その後、曹操がこの世を去り、
曹丕が曹操の跡を継いだ時に恨みが爆発します。
そしてその機会を伺っていた時、
曹洪の食客が罪を犯してしまいます。
これを利用して、連座で曹洪を殺そうとします。
勿論曹洪の数々の功績を考え、
周りの家臣達によって反対されます。
しかし、曹丕は聞く耳を持ちません。
また同族である曹真からも反対されますが、
それでも曹丕は聞く耳を持ちません。
どれだけ曹丕が根に持っていたか分かる話です。
最終的に、曹丕の母(卞太后)が、
「もし子廉(曹洪)がいなかったら、今の曹家はなかった」
ということを告げると、曹洪は死罪を免れます。
しかし曹洪が与えらていた領地や驃騎将軍の位を没収されます。
死罪は免れたものの、曹洪へのこの処遇を聞いた人達は、
ありえない処罰だったと感じたそうです。
その後の曹洪
曹丕がこの世を去り、
息子の曹叡が跡を継ぎますが、
曹洪は再度領地を与えられ、
再度驃騎将軍に任命されています。
この点から見ても、彼の過去の功績を全て無視して、
曹丕がいかに理不尽な処罰を与えていたという事が分かりますね。
人の恨みは怖いものです。
ましてや皇帝に恨まれたらと考えると・・・。