218年に鳥丸族・鮮卑族が大規模な反乱を起こしますが、

それと同時期に劉備軍の攻撃によって漢中が危機的状況の最中にありました。

 

また218年の正月には吉本の乱が許昌で勃発しており、

益州方面の劉備、荊州方面の関羽に呼応する形でいかなる反乱がおきても不思議ではない状態でした。

 

 

そんな中で、これまで武勇に非常に優れながらも用いられることがなかった曹彰が、

北方の異民族討伐の総大将に任命されることになります。

 

曹彰が起用されたのにはいくつかの理由がありました。

 

どうして長らく活躍の場を与えられてこなかった曹彰が、

この大事な場面でいきなり起用されたのかをここでは見ていこうと思います。

曹操の後継者問題

 

曹操には沢山の子供達がいました。

そしてこの時、曹操の第三夫人であった卞夫人が正室でした。

 

曹操と卞夫人の間には、曹丕・曹彰・曹植・曹熊の4人が生まれています。

曹操の正室になった三人の女性(劉夫人・丁夫人・卞夫人)

 

そのことからも曹操の後継者の筆頭候補は、

卞夫人との間に生まれた4人の兄弟になるわけです。

 

その中でも長男であった曹丕が跡を継ぐのが一般的なのですが、

曹植も文才に優れており、曹操から非常に愛されていました。

 

また曹彰も武勇に優れており、曹丕の弟ということもあり、

もちろんですが後継者候補の一人だったわけです。

 

そんな大事な子である曹彰を、

危険な戦場に送るわけにはいかないという気持ちも少なからずあったのかもしれませんが、

曹操が曹彰に活躍の場を任せてこなかったのは別の理由があったのだと思います。

 

 

生まれた順から言えば後継者第一候補は曹丕ですが、

この時の曹丕でさえ、五官中郎将という役職に留まっており、

 

実際どの将軍職よりも立場的には低い役職でした。

 

 

そんな中で、武勇に優れていたからと曹彰を将軍職につけることは、

曹彰を後継者にしようとする派閥ができてくる可能性もあったんですよね。

 

更に曹彰が大きな功績でもあげれば、曹彰を後継者にしようと考える輩が尚更出てきても不思議でないわけです。

 

実際、曹丕派閥と曹植派閥に分かれて曹操の後継者になるように競っていたぐらいですから。

 

そういう意味でも、曹操は長らく曹彰を重く用いる事ができないでいました。

何故曹彰に鳥丸族討伐を任せたのか?①

これまでずっと曹彰を重く用いらなかった理由は、

先ほども述べたように後継者問題での長男である曹丕への配慮でした。

 

しかし218年4月に起こったこの鳥丸族の反乱で、

曹操は迷わず曹彰を起用しています。

 

理由は簡単です。

この時には既に曹丕を後継者に決めていたからです。

 

 

ここで曹彰に将軍職を与えて、大きな手柄をたてたとしても、

 

既に後継者は曹丕と決まっていたわけですから、

大きな問題にもならないと曹操は判断したのだと思います。

 

ましてや総大将になって手柄を立てる事を夢見ていた曹彰を、

曹操もどこかで曹彰を使ってあげたいと心の中で考えていたのもあったのでしょうね。

何故曹彰に鳥丸族討伐を任せたのか?②

漢中での劉備との戦いが激化しており、

この戦いが一層激しくなること事が予想出来ていた曹操は、

 

これ以上に兵を率いる事ができる有望な将軍を、

むやみあたりに使うわけにはいかなかった事情もあったのだと思います。

 

 

何かあれば共に漢中を守る夏侯淵らを助けに行かねばならないと考えており、

 

また許昌で吉本の乱がおきており、

今後もそういう反乱がおきても不思議ではない状況でした。

 

それから6か月後の218年10月に南陽郡で侯音の反乱が起きましたしね。

劉備が夏侯淵を倒せたのは侯音のお陰だった?

立て続けに三度の捕虜経験を持つ東里袞(とうりこん)

 

実際鳥丸族が反乱を起こした時には、

既に漢中には、夏侯淵・張郃・徐晃・郭淮らに守らせていた上に、

曹洪・曹休・曹真らに騎兵主力部隊であった虎豹騎を率いらせて援軍を送っていました。

 

また曹仁には、関羽対策として荊州の樊城を守らせており、

荊州の事情を考えた場合に絶対に動かせない状況でした。

曹操の精鋭騎兵隊・虎豹騎(こひょうき)の力を引き出した曹純

 

 

そこでこれまで曹丕の手前上、活躍の場を与えてこれなかったけれども

曹操自身も曹彰の武勇をかねてより認めていただけに、

 

「ここしかない!」と言わんばかりに鳥丸族の討伐を任せたのです。

武勇に優れ、名将たる素質を兼ね備えていた曹彰

曹彰驍騎将軍代行に任命した理由

曹彰を鳥丸族討伐の総大将に任命する事を決めたものの、

この時の曹彰の役職は「北中郎将」でした。

 

曹丕の五官中郎将と同じく、高い役職といえるものではありませんでした。

 

 

そして曹操は曹彰を補佐する為に、

夏侯一族である夏侯尚・夏侯儒や田豫でんよを付き従わせようとしたのですが、

 

この三人は既に将軍職にあたり、総大将の曹彰よ役職的に上の者達でした。

田豫(田予/でんよ)/長らく時代の移り変わりを見てきた男

 

そこで曹操は驍騎ぎょうき将軍という役職を総大将である曹彰に与えて、

三人よりも高い役職にしたのでした。

 

まぁあくまで代行という一時的なものだったとはいえ、

下の役職の者に上の役職の者が命令されるのも、普通に考えたらおかしいですからね。

 

 

またこの驍騎将軍というのは、将軍職の中ではトップクラスの役職であり、

車騎将軍・衛将軍と同列で、この上は大将軍しかありません。

 

そしてこの驍騎将軍は、曹彰にとっても意味が深い役職でもあったのです。

 

 

かつて霍去病が反乱鎮圧の為に驍騎将軍に任命されたのが、

この役職の始まりであり、

 

曹彰は小さい頃から霍去病や衛青のような将軍になりたいと言っていただけに、

曹操なりの曹彰を思いやって与えた役職だったのでしょう。

 

これらの事から曹彰は、代行とはいえ驍騎将軍という名誉ある役職に任命され、

念願であった総大将として鳥丸族討伐に向かうのでした。

 

そして曹彰は北方の土地で、曹操も予想できないほどの大手柄を上げるわけです。