今現在では日本中どこでもプラネタリウムを気軽に見れたりしますが、
私はプラネタリムの起源とも言えるものが、三国時代に発明されていたと思っています。
三国時代と言えば、魏呉蜀に三つに分かれて争った時代ですが、
今回注目するのは呉の科学者・天文学者達ですね。
プラネタリウムとは?
世界初のプランタリウムが誕生したのは1923年にドイツで誕生したもので、
「カールツァイス1型」と名付けられたものになります。
このプラネタリムは、
5つの惑星と4500の恒星の運行再現に成功しています。
ちなみに恒星とは、太陽などのように自らエネルギーを発する惑星のことですね。
一方日本でプラネタリウムが誕生したのは、
1958年に千代田光学精工株式会社が初めて作ったのが始まりになります。
※千代田光学精工株式会社は、現在コニカミノルタプラネタリウム株式会社に名前が変わっています。
そう考えるとプラネタリウムが私たちの身近な存在になったのは、
ごくごく最近の話なんですよね。
陳卓による「星図」の完成
呉に陳卓という人物がいたのですが、
230年~240年あたりに生まれた人物だとされています。
陳卓は九卿の一つである太常の属官である太史令の職についていたようですが、
280年に呉が滅亡すると、その後は晋に仕えたのでした。
ちなみに晋(西晋)でも同様に太史令を任され、
西晋が滅亡して東晋になってからも、変わらず太史令に任じられています。
最後は太史令の職のまま亡くなったとされていますが、
陳卓は別の顔を持った人物でもありました。
それは天文学者でもあり、星占いを得意とした人物でもあり、
多くの天文に関する著書を残しています。
- 天文集占
- 四方宿占
- 天官星占
- 甘・石・巫賢三家星官
- 五星占
- 五星出度分記
- 陳卓分野
- 渾天論
陳卓はその当時に知られていた星座を
まず「甘公」「石氏」「巫咸」の星に分類して色分けしました。
そしてそれに新たに加えて合計283官、1464星として、
「全天星図(星図)」を作ったわけです。
これによりこれまで記録として残っていた星の数が大幅に増したのでした。
呉で天文学が発達した裏側に垣間見える航海術の存在
陳卓が多くの星を新たに追加できた裏側には、
呉で大きく発展していた航海術が大きな影響を与えたと思っています。
呉は地域がらというのもあり、航海術に非常に秀でていたからです。
夜間であっても船を動かすことも多かったでしょうし、
暗闇の中でも方角を見失わないようにする意味でも星等の動きや位置を正確に把握していたのでしょう。
実際「二十四孝」に数えられている陸績も天文学を得意としていましたし、
孫権の命令で「暦」を作ったこともありましたが、
当時の最先端の暦でしたし・・・
他にも闞沢は天文学に通じていた人物の一人で、
「乾象暦」に修正を加えていますからね。
ちなみに「乾象暦」とは206年に劉洪が献帝に献上した暦ですが、
後漢・魏では使われることはなかった暦です。
ただ「乾象暦」は呉に持ち込まれて使用されていたようで、
これを修正して編纂し直したのが闞沢だったわけです。
劉洪の「乾象暦」にはどうしても時間の誤差が生まれてしまうという短所があった為に、
闞沢はその誤差を修正したということですね。
「乾象暦注」によって誤差がほとんどなくなった暦は、
230年頃から呉が滅亡する280年まで使い続けられています。
魏蜀と比べても一番に天文学が発達していった地域が呉であり、
その裏側には呉の航海術の発達による影響があったのは間違いないでしょうね。
葛衡による「渾天儀」の発明
葛衡も当たり前のように呉の人物で、
天文に明るいだけでなく、機械づくりを得意としていました。
ただ葛衡についての記載はほとんど残っておらず、呉書の「趙達伝」に記載がある程度ですね。
ちなみに趙達とは九宮一算術の占いを得意とした人物なんですが、
その趙達伝に葛衡の記載が残っている感じです。
葛衡はまず中心に大地を設置し、
機械を動かすことで天体が動き、
実際の天体の動きを再現することを可能とする「渾天儀」を発明したのでした。
簡単に言ってしまうと中心の大地の部分から、
天体の動きを見ることができるというものですね。
聞きなれない「渾天儀」という言葉ですが、
天球儀の拡大版と思ってもらうと分かりやすいかなと思います。
この「渾天儀」は実際に人が入れるほどの大きさのもので、
大きな球体の構造で、その球面には星宿(恒星)を並べられていたわけです。
そしてどの星位にも穴が開いていました。
そういう作りがされていたので、
大地に人が立つことで穴から入ってくる光を見ることできたわけです。
その点を考えても、世界で初めてプラネタリウムが作られたのは、
三国時代の呉であったと私は思っています。
「渾天儀」に関する記載はほとんどないと思いますが、
その背景や作りを正確に知っていくことで、
見えてこなかったものが見えてくるのもまた面白いですね。