曹操の代表作には「短歌行」という詩がありますが、

これは曹操が優れた人物を強く求めるといった内容になっています。

 

ただ三国志演義や映画のレッドクリフでも

曹操の「短歌行」は採用されており、知ってる人も多いのではないでしょうか?

 

 

まぁ三国志演義やレッドクリフでは、

赤壁の戦いに望む前に酒を飲みながら曹操が詠んだ歌という設定になっていますけど、

 

実際はそのタイミングで詠んだ歌ではないというのが定説になっていますね。

 

 

人材を求める詩であるにもかかわらず、

赤壁の戦いに望むというのは明らかに背景的にもあっていないからです。

 

そんな曹操の「短歌行」が参考にしたであろう詩吟を今回は紹介します。

曹操が参考にした「子衿」

子衿しきんは、

中国最古の詩集である「詩経」に収められている詩になります。

 

 

ちなみに「詩経」は、

「書経」「易経」「春秋」「礼記」とともに儒教の経典とされているもので、

 

儒教社会であった中国では、

多くの者達が当たり前に触れていた詩の経典になりますね。

 

この中に収められている詩は、

紀元前11世紀から紀元前6世紀までのもので、305首ほどの詩が紹介されています。

 

 

その中に鄭風(鄭国)で作られた「子衿」があるわけなんですが、

内容は以下の漢詩になります。

 

青青子衿 悠悠我心 (青青たる子が衿 悠悠たる我が心)

縱我不往 子寧不嗣音たとへ我往かずとも 子なんぞ音をがざらんや)

 

青青子佩 悠悠我思 (青青たる子がはい 悠悠たる我が思ひ)

縱我不往 子寧不來 (縱へ我往かずとも 子寧ぞ來らざらんや)

 

挑兮達兮 在城闕兮 (挑たり達たり 城闕に在り)

一日不見 如三月兮 (一日見ざれば 三月の如し)

-翻訳-

こんなにも私はあなたをずっと想って待っているのに、

私があなたを訪ねていかないからといって、あなたは何故私に手紙をくれないのですか?

 

こんなにも私はあなたをずっと想って待っているのに、

私があなたを訪ねていかないからといって、あなたは何故私の元に来てくれないのですか?

 

あなたはあちこち行き来し、近くにある城門まで来ているというではないですか?

私はあなたに一日会えないと、三カ月も会ってないような気持ちになるのです。

 

 

これらのことからも分かるように、

 

「女性が男性を一途に想いながらも、

それが叶わないことを嘆いている詩」になりますね。

 

 

では何故この詩を曹操が参考にしたと思うのかについてですが、

それは次で見ていきたいと思います。

「青青子衿 悠悠我心」というフレーズの共通点

まず曹操の「短歌行」を見てみましょう。

全文はもっと長いのですが、見てもらいたいのは次の部分です。

 

青青子衿 悠悠我心青青たる子のえり悠悠たる我が心。)

但為君故 沈吟至今だ君が為ゆえ、沈吟ちんぎんして今に至る。)

呦呦鹿鳴 食野之苹呦呦ゆうゆうとして鹿は鳴き、野のよもぎふ。)

我有嘉賓 鼓瑟吹笙(我に嘉賓かひん有り。しつしょうを吹かん。)

-翻訳-

青い衿の服を着た若者達よ、

私は優れた才能を持った君達を想いつつ待ち続けている。

 

鹿がゆったりと鳴いて仲間を呼び、共にヨモギを食べるのと同じように、

気が合う客人の訪問があれば、私は琴を奏で、笛を吹いてもてなそうと思っている

曹操を代表する「短歌行(其ノ一)」の内容とは!?

 

 

二つを比べてもらったら分かりますが、「子衿」と同様に

「青青子衿 悠悠我心」というフレーズが使われています。

 

 

このことから分かることは、

曹操は「詩経」のこのフレーズを故意に使用しているという事が分かります。

 

たまたま一致したなんてのはナンセンスですから!!

「青青子衿 悠悠我心」のフレーズを真似した理由は!?

では曹操は何故「青青子衿 悠悠我心」のフレーズを

「短歌行」に使ったのでしょうか?

 

単純に考えれば、

過去の偉人の良いフレーズを真似したコピーだと捉えられかねません。

 

しかし、これはそんな単純な話じゃないです。

 

「子衿」は切ない恋心を表現したであり、

「短歌行」は人材登用について歌った詩です。

 

 

曹操は三国時代で一番と言っていいほどの人材マニアだったのは有名な話です。

 

その一番分かりやすい例が、

「才能さえあれば誰でも登用する」といった求賢令でしょう。

 

 

この時代どんなに高い能力を持っていたとしても、

 

名声もないような人物はなかなか評価されないような時代でしたから、

この曹操の考えは異質のものだったことは言うまでもありません。

 

 

曹操は優れた者が自分の元に来てくれる事を、

(男女の)恋心のよう気持ちで求めていたということを言いたかったのでしょう。

 

「青青子衿 悠悠我心」という同じフレーズであるにも関わらず、

本当に曹操らしい、しゃれた言い回しに変えて使ったというわけです。

 

 

例えば昔の曲をカバーして新しい曲に仕上げるといったことが

今では当たり前のように行われていますが、

 

古い詩に曹操なりの新たな息吹を吹き込んだと考えてもらえれば、

非常に分かりやすいかなと思います。

 

 

このように漢詩の関連性を見ていくことで、

その詩の新たな一面を見れたりするのも漢詩の面白い所ですね。