何晏と共に「玄学」を創始した王弼(おうひつ)

王弼

「玄学」の礎を作った人物として、 まっさきに名が挙げられるのが曹操の養子になった何晏ですが、   何晏の良きライバルであり、 何晏同様に「玄学」の創始者となったのが王弼おうひつになります。 後世の文学に多大な影 […]

何晏に関する世説新語の逸話六選

何晏

「世説新語」は、 三国時代より更に後の時代にあたる南朝(宋王朝)時代に、 劉義慶によって編纂されたものになります。     ここには後漢末期の人物から、 東晋までの人物についての逸話が集められたものに […]

孫休 -雉好き×雉狩り皇帝の異名の持ち主-

孫休

呉の第三代皇帝である孫休といえば、 学問を非常に好んだ人物ですが、他にも好んでいた趣味がありました。     それは雉きじ狩りだったんですが、 孫休の雉狩りについての逸話が世説新語に乗っていたりします […]

長らく出仕を断り続けた秦宓

秦宓

秦宓(しんみつ/しんふく)、出仕せず! 秦宓は若かりし頃から有望で招聘されることも多かったのですが、 病気と称して出仕することはなかったようです。     当時は簡単に出仕しない事が、 一種の流行とな […]

神人から老爺に堕ちてしまった劉雄鳴

劉雄鳴

劉雄鳴は「三国志演義」には登場することがない人物で、 正史にのみ名が残る人物になります。     少しマニアックな人物ですが、 馬超・韓遂らの関中十部に数えられる可能性のあった人物でもあり、 &nbs […]

婁圭 -氷城の計の元ネタになった名参謀-

婁圭

三国志演義で馬超・韓遂連合軍の奇襲に苦しめられていた曹操に対して、   「氷城の計」を授けた夢梅老人(夢梅居士) という名前を記憶してる人も多いのではないでしょうか?   実際これは三国志演義上だけで […]

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