周瑜(公瑾)

周瑜は呉の軍師的な立場にあった人物であり、文武に優れており、

「美周郎(びしゅうろう)」と言われていた美男子でもあります。

 

 

もともとは孫策の友人で、

 

二喬(大喬・小喬)をそれぞれに娶っていたこともあり、

二人は義兄弟の間柄でありました。

 

しかし孫策が刺客に襲われた時の傷が元で早世してしまうと、

孫策の弟である孫権を支えていく事となります。

 

 

そんな折に曹操が南下してきたことで、

赤壁の戦いが勃発します。

 

この赤壁の戦いでは、孫権と劉備が手を結んで迎え撃つわけですが、

曹操に見事に勝利しています。

 

そして勝利に大きく貢献したのが、まさしく周瑜でもあったのです。

 

 

劉備からは、

「文武に優れた完璧超人」と言われたり、

 

孫権からは

「周瑜のお陰で帝位につくことができた!」

と周瑜を褒め称えた言葉も残っています。

 

 

そんな万能な能力を兼ね備えていた周瑜ですが、

音楽にも非常に精通していたという話が残っています。

 

今回はそのあたりを見ていきたいと思います。

孫策・孫権を支え、「天下二分」を思い描いた周瑜

絶対音感も持ち主?

周瑜は音楽の才能も非常に高かったようで、

「絶対音感」を持っていたと言われています。

 

 

正史にはきちんと次のような事が書かれています。

 

「周瑜は若い時から音楽に精通しており、

 

酒の席で酔った時でも、

誰かが弾いている演奏に間違いがあった場合、

 

その演奏の音を聞き分け、

間違った演奏者をチラ見していた!

という記述が残っています。

 

 

そのことは多くの人達が知る所となり、

 

「もし誤った演奏をしたら、

美周郎に見られるよ!」と言われるようになったといいます。

周瑜と蒋幹の逸話

赤壁の戦いでは、

魏の使者として周瑜を寝返らせるためにやってきて、

結果的に失敗した蒋幹という人物がいますが、

 

蒋幹は周瑜の友人でもありました。

 

 

その蒋幹と会話している中に、次のような記述が残っています。

 

「私は歴代の演奏者達にはかなわないけれども、

どんな演奏でも聞きさえすれば、

 

音をきちんと聞き分け、間違った所をたちどころに見つける事ができる」と・・・

 

 

「明らかに自分で自分を褒める」

という自慢話なので、

 

それを聞いた蒋幹は、

「また自慢話かよ」と呆れ返っていたかもしれませんね。