臧覇(ぞうは)

臧覇と聞くと演義の影響を受け、

以下のようなイメージを持っている人も多いのではないでしょうか?

 

臧覇は、呂布の家臣として徐州で曹操軍と戦いますが、

戦いに敗れ、呂布ともども捕らえられてしまいます。

 

その際、先に曹操に降伏していた張遼の説得で、

臧覇も曹操に仕えるといった内容ですね。

 

 

ちなみに横山光輝三国志では、

呂布についていけないと悟った臧覇・宋憲・侯成の3人は、

呂布が疲れて眠っている所を捕らえて、曹操に降伏しています。

 

 

これが大体の人がイメージしていた臧覇じゃないかなと思います。

むしろこの戦い以外で演義ではあまり登場しません。

 

正確には赤壁の戦いの前に、徐庶とともに赤壁の地を離れており、

それ以後登場していません。

 

 

しかし実際の臧覇は、そんな演義からは想像もできないほど、

芯のしっかりした豪傑でした。

 

今回はそんな臧覇について話していきたいと思います。

投獄された父の奪還

臧覇の父は臧戒(ぞうかい)といい、

兗州の県で役人をしていました。

 

そこの郡の太守が意味もなく人を殺そうとします。

これに、臧戒は反対します。

 

臧戒が反対した事に怒った太守は、

臧戒を無実の罪で捕らえて、100人程度の役人と共に護送します。

 

父が捕まり、護送されている事を知った臧覇は、

護送車を襲い、役人達を蹴散らし、父を取り返しています。

この時、臧覇は18歳でした。

 

これをきっかけに臧覇の名前は、

世の中に知れ渡ります。

陶謙に仕え、黄巾賊討伐に参加する

それからしばらくして、

臧覇は徐州の陶謙に仕えて、黄巾賊討伐に参加します。

 

この時の活躍によって、

臧覇は、騎都尉(きとい)に任命されています。

 

 

しかし陶謙が横暴な態度をとるようになると、

徐州で兵を集め、陶謙から独立した勢力を築きます。

この時、孫観(そんかん)・呉敦(ごとん)・尹礼(いんれい)・昌豨(しょうき)といった武将が臧覇に従っています。

臧覇VS呂布

197年、臧覇は琅邪を治めていた蕭建(しょうけん)を撃ち破り、

その領地を占領し、勢力を拡大します。

 

 

しかし蕭建は、呂布と当時同盟を結んでおり、

臧覇に蕭建がやられた事を知ると、呂布は激怒します。

 

そして、呂布は臧覇に戦いを挑みますが、

臧覇が善戦し、呂布は敗北してしまいます。

 

臧覇の強さを知った呂布は、

臧覇とこれ以上争う事を避け、同盟関係を結びます。

曹操VS呂布

 

198年、曹操と呂布の戦争が始まります。

その時同盟を結んでいた臧覇が援軍に駆け付けます。

 

しかし援軍虚しく、呂布は曹操に敗れてしまいます。

臧覇はなんとか逃亡に成功しますが、後日曹操に捕らえられます。

 

捕らえられた臧覇ですが、

命乞いなどせず、立派な態度だった臧覇を気に入って、

味方になるように説得し、臧覇は曹操に降ります。

 

臧覇が曹操に降った事で、

臧覇に仕えていた孫観・呉敦・尹礼・昌豨も曹操に帰順しています。

青州・徐州の統治権を与えられる

曹操に降った臧覇は、

曹操に大変信頼され、青州・徐州を統治を委託されます。

 

この当時、青州は袁紹の領地になっていましたが、

「青州の袁紹軍を蹴散らして領土にしろ」ということであり、

臧覇は何度も青州へ侵攻し、複数の郡を制圧しています。

 

 

臧覇が何度も青州へ侵攻してくれたおかげで、

青州の袁紹軍は援軍を出すことができず、

 

西は鍾繇、東には臧覇がいてくれたお陰で、

曹操は袁紹と真っ向勝負ができたと感謝しています。

徐州刺史へ出世

曹操に降伏した元家臣である昌豨が反乱を起こした際は、

于禁と協力して撃破しています。

 

それ以外にも黄巾賊残党を蹴散らし、

曹操の期待に応えていっています。

 

そのかいあって、

臧覇は、徐州刺史に正式に任命されます。

孫権との度重なる激闘

 

このあたりからの臧覇は、

孫権軍と幾度となく戦いを繰り広げていく事になります。

209年の戦い

この時の戦いでは、臧覇は曹操軍の先鋒となり、

居巣を攻撃し、孫権軍を破っています。

 

た韓当が迎撃してきた際は、見事にこれを蹴散らしています。

217年 濡須口の戦い

臧覇は張遼と共に孫権軍と戦いますが、

呂蒙に敗れてしまいます。

 

その後、大雨によって水位があがってしまい、

戦いどころではなくなります。

 

しかし曹操が自分達を見捨てるはずがないと判断した臧覇は、

曹操の命令がくるまで、その場で踏ん張ります。

 

次の日、曹操からの撤退命令が下ると、

速やかに撤退していってます。

 

これによって濡須口の戦いは終わりますが、

臧覇は夏侯惇と共に引き続き、呉対策として居巣に留まっています。

222年~223年の戦い

220年曹操がこの世を去って、曹丕が跡を継ぎますが、

この時には、青州も任される事になります。

 

222年になり、また呉との闘いが勃発します。

臧覇は、曹休や張遼と協力して呉の呂範を撃退しています。

 

その後、更に呉を襲撃しますが、

全琮・徐盛に蹴散らされてしまいます。

その後の臧覇

222~223年の戦いが終わった後、

臧覇は都に呼ばれ、曹丕の軍事顧問などを引き受けます。

 

曹丕がなくなった後は、

曹叡に忠誠を尽くしますが、間もなく亡くなっています。

 

曹操・曹丕・曹叡と三代に仕え、

演義では見られないぐらい魏に貢献しています。

 

これほど活躍した臧覇を

三国志演義では、ほとんど無視してしまってます。

ですが、これが臧覇の本当の姿なのです。