神医「華佗(かだ)」

蒼天航路(26巻104P)より画像引用

 

華佗かだといえば、三国時代どころか、

世界最古の麻酔薬「麻沸散まふつさん」を開発したとされている人物です。

 

「麻沸散」を葡萄酒と共に服用する事で全身の感覚を奪い、

様々な事に対応した治療を行う事ができ、「神医」と呼ばれるようになります。

 

 

華佗は、曹操の持病であった頭痛を治すために呼びだされますが、

 

曹操が自分をだたの医者としてしか見てくれなかった為に、

曹操に愛想を尽かし故郷に帰ります。

 

当時、医者の社会的地位は非常に低かったのです。

 

 

そして帰郷した華佗は、

妻が病気である事を理由に曹操の元へ戻る事をしませんでした。

 

しかし妻が病気というのが嘘だと分かると、

曹操は大層怒り、華佗を捕らえて処刑してしまいます。

 

 

後に曹操が可愛がっていた曹沖がこの世を去った時、

華佗を処刑した事をひどく後悔したといいます。

 

今回は華佗が三国志の世界で、

どういった人達にどういう治療をしたのかを見ていきたいと思います。

曹操の真の跡継ぎ候補だった曹沖

陳登

もともと陶謙に仕え、最終的に曹操に仕えた陳登ですが、

陳登は魚の身を細切りして作られたなますが大好きでした。

 

しかしそのなますから

陳登の胃に寄生虫が入り込み、巣を作ってしまいます。

 

 

そこで華佗は、煎じた薬を二升(3.6リットル分)を作り、

二度に分けて飲ませした。

 

そうすると陳登は、

巣くっていた寄生虫を吐き出し、体調は良くなったわけです。

 

ただ華佗は、この病気は三年後に再発すると言い残して去っていきます。

 

 

 

そして三年後に華佗が言った通りに、陳登の病気は再発します。

 

 

しかし陳登が再発した時、

華佗は他の患者の治療で出かけており、

 

陳登の病気を治せる人が他にいなかった為、

陳登はこの世を去っています。

呂布を破滅させる為に暗躍した陳登

尹正

蒼天航路(26巻121P)より画像引用

 

県の役人をしていた尹正という人物が、

 

「手足が常にほてって、口の中がすぐに乾いてしまう。

人の声を聞くとイライラしてしてしまうし、小便が出ない!」

といった症状に悩まされていました。

 

 

それを診断した華佗は、

「熱いものを食べて汗が出れば、その症状は治るけれども、

 

もし熱いものを食べても汗が全く出ないようなら、

三日で泣きながら死ぬことになる」と診断します。

 

 

 

そこで尹正は熱いものを食べるのですが、

汗が出る事は全くと言っていいほどありませんでした。

 

そして三日目、尹正は泣きながら死んでしまいます。

 

まさに華佗の診断通りになったのです。

李通の妻

李通の妻が流産になり。重い病にかかってしまいます。

 

 

そこで華佗が診断をするのですが、

 

診断結果が流産した子が、

まだお腹に残っていることが原因だといいます。

 

 

李通は「妻が流産した時、子は既に出てきている!」と言いましたが、

 

 

それでも華佗はお腹に流産した子が残っている事が原因だと重ねて言います。

 

「おそらく双子であり、

片方の子がまだお腹に残っているからでしょう」・・・

 

 

結果的に華佗が言った通りであり、華佗によって適切な治療が行われ、

 

ミイラ化して残っていたもう一人の子を取り出すことに成功し、

李通の妻は回復したのでした。

武勇第一と評価された忠義の士「李通」

李成

役人をしていた李成は、咳に苦しんでいた時に

血の混じった膿を吐いた事がありました。

 

 

これを華佗が診断したところ腸炎で、

腸炎を治す為の薬を華佗から貰い、李成は無事に治ります。

 

そしてこの病気は18年後に軽く再発するのでということで、

華佗に18年後の分の薬も貰っていました。

 

 

それから五年の月日が経った時、

 

親戚に李成と同じ症状になった人がいたため、

華佗に貰っていた薬を与えます。

 

親戚の者はそれで回復するのですが、

李成は自分の分の薬をあげてしまったのでした。

 

また後で華佗に再度貰えばよいだろうという安易な考えで・・・

 

 

そして華佗に再度薬を貰いに華佗の元を訪れますが、

 

その時は曹操によって華佗が捕らえられて投獄されてしまった後だった為、

薬を手に入れる事ができませんでした。

 

獄につながれた華佗はそのまま処刑されてしまいます。

 

 

そして月日が流れて18年経った時に、

華佗が言っていたように病気が再発してしまいます。

 

しかし華佗から貰った薬がなかったため、李成は死んでしまいました。

郡の太守

蒼天航路(26巻116・117P)より画像引用

 

はっきりしとした人物名は分からないのですが、

重病に苦しんでいたある太守がいました。

 

その太守を華佗が診断すると、

怒らせることで病気が治る事が分かります。

 

そして華佗は太守から高額の医療費を貰うと、

 

太守の治療もせずに、

太守の悪口を書いた手紙を残して帰ってしまいます。

 

 

高い治療費を払ったにも関わらず、

 

病気も直してもらえず、

その上に悪口を書かれた手紙を見た太守は激しく激怒!!

 

激怒したことで血を吐き出した太守の病気は、

これにより完全に治ったのでした。

偶然出会った病人

華佗が買い出しに出ていた時に、

たまたま苦しんでいた病人と付き添いの家族が運ばれていました。

 

そうすると喉に食べ物が詰まって飲み込むことができず、

息をすることも大変だということでした。

 

 

そこにたまたま遭遇した華佗は、患者を診てあげたわけです。

 

患者の様子を確認して、華佗は対処法を教えます。

「今通ってきた道に、餅を扱う店がある。

 

 

その店にはニンニクをすり下ろしたものと酢がおいてあるので、

 

それを購入し、それらを混ぜたものを3升(5.6リットル分)作って、

一気に飲み干せば治る」と・・・

 

 

患者の家族は、華佗から聞いた通りに実行します。

 

そうすると細長い寄生虫を吐き出す事に成功

患者の病気は治ったそうです。

三国志演義での華佗

華佗が三国志演義に登場するのは、

周泰や孫策の治療を行う際にです。

 

 

一番有名なのは、関羽が龐徳によって毒矢を受けた際に、

トリカブトの毒を取り除くために治療を受けた事だと思います。

 

華佗は激しい痛みが伴うので、

関羽の腕を動かないように縛り付けようとしますが、

 

関羽は「縛り付けなくてよい!」といい、

華佗が治療している最中、馬良と囲碁を打っていたそうです。

 

 

その後曹操が頭痛で悩まされて、

名医と呼ばれていた華佗が呼び出されます。

 

そして華佗が曹操に治療法を説明すると、

「頭を割って私を殺す気か!」といい、華佗を投獄してしまいます。

 

 

華佗は投獄されて処刑されてしまいますが、

 

華佗が生涯をかけて書いた「青嚢書(せいのうしょ)」

毎日世話をしてくれていた獄吏に恩返しも含めて渡したのです。

 

 

その「青嚢書」を喜んで持ち帰った獄吏ですが、

 

獄吏の妻は、「医術を極めても、

華佗のような目にあったら意味がない!」夫の心配をして、

 

青嚢書を焼き捨ててしまったのでした。

 

焼け残った部分には、豚や鶏の去勢術が書かれていただけだったと言います。