三国志演義で描かれる「博望坡の戦い」 「三顧の礼」によって迎えた諸葛亮が、 初陣を飾った戦いが「博望坡はくぼうはの戦い」になります。 曹操は袁紹やその遺児らを滅ぼした事で、 華北統一に成功して […]
「劉備」の記事一覧(2 / 3ページ目)
⑬蜀呉激突・魏呉激突
蜀呉激突へのカウントダウン 長年のライバルであった曹操がこの世を去り、 曹丕が跡を継いで皇帝となり「魏」を建国したことで漢王朝は滅亡してしまいます。 そしてその少し前に、 劉備にとって関羽が呂蒙・陸遜らによ […]
⑫漢王朝の滅亡&二人の皇帝誕生
漢中の戦い 漢中という土地は張魯という人物が治めていましたが、 曹操が侵攻して張魯を降したことで曹操領地となったわけです。 この時の劉備は、既に成都を攻略し益州を手に入れていましたが、 荊州の […]
⑪後漢滅亡への足音&劉備・孫権の関係に亀裂
曹操の魏公就任 これまでの曹操は三公を廃して丞相府を設置し、 曹操自身は丞相じょうしょうに就任していましたが、213年に魏公に任じられたのでした。 曹操が三公を廃止した理由はいくつかあるのですが、 司空・司 […]
⑩劉備が益州攻略を成し遂げ、天下三分の計の実現
荊州南部を獲得して土台を築く 赤壁の戦いで勝利した劉備・孫権軍でしたが、 劉備は領地をもってない放浪軍といっても過言でない立ち位置でした。 そこで劉備は、なにがなんでも領地獲得が目先の必須事項であり、 荊州 […]
⑨劉備・孫権連合軍、赤壁で曹操を迎え撃つ
曹操の南方攻略開始&荊州の動向 曹操が袁家を滅ぼし、北方の憂いが無くなった事がきっかけとなり、 天下統一を成し遂げる為に南方制圧に動き出します。 まずは曹操は荊州を治める劉表の領地に向けて軍を進めました。 […]
⑧鳴かず飛ばずの劉備
劉備の旗揚げ 劉備は三国志の主人公の一人で、 貧しい生活を送りながらも劉元起の助け(援助)もあって盧植の元で学んだようです。 この時に公孫瓚も盧植の元で学んでいたことから、 劉備は公孫瓚こうそ […]
水魚の交わり
劉備と諸葛亮(孔明)の関係性を一番に良く表した言葉が、 「水魚の交わり」という言葉だと思います。 ~水がなければ魚は生きていけない~ つまり「諸葛亮がいなければ、私は生きていけない。」という意味になるわけで […]