同じタイトルで詠まれた詩は結構沢山あったりします。
例えば孔融の「雑詩」という有名なものがありますが、
曹丕・陳琳・劉楨も「雑詩」というタイトルで詩を作っていますしね。
曹植が詠んだことでよく知られる「七哀詩」も同様です。
※曹植・王粲・阮瑀
今回はその中でも、曹植・王粲の「七哀詩」を紹介したいと思います。
曹植による「七哀詩」
明月照高樓(明月高樓を照らし)
流光正徘徊(流光正に徘徊す)
上有愁思婦(上に愁思の婦有り)
悲歎有餘哀(悲歎餘哀有り)
借問歎者誰(借問す歎ずる者は誰ぞ)
言是客子妻(言ふ是れ客子の妻なりと)
君行踰十年(君行きて十年を踰え)
孤妾常獨棲(孤妾常に獨り棲む)
君若淸路塵(君は淸路の塵の若く)
妾若濁水泥(妾は濁水の泥の若し)
浮沈各異勢(浮沈各おの勢を異にし)
會合何時諧(會合何れの時にか諧はん)
願爲西南風(願くは西南の風と爲り)
長逝入君懷(長く逝きて君が懷に入らん)
君懷良不開(君が懷良に開かずば)
賤妾當何依(賤妾當に何にか依るべき)
-翻訳-
明るい月が高楼を照らし、
月の光は庭に影を落とすこともなく動いている。
そして高楼の上に、嘆き悲しんでいる一人の女がいる。
その嘆きは留まることを知らない様子である。
私は「誰を想ってそのように嘆いているのですか?」と尋ねてみると、
彼女は「旅に出た夫を想っているのです」と返答したのだ。
(ここからは夫への呼びかけ)
「あなたが旅に出てからもう既に十年以上が経ち、
私は一人でずっと待ち続けているのですよ。
あなたは綺麗に掃かれた道の上の塵だとしたら、
私は濁った水底に沈殿している泥みたいなものです。
あなたは浮かび、私は沈むように、
お互いの見えている方向が全く違ってしまっているのです。
私とあなたはいつ出会えるのでしょうか?
できることなら私は南西の風になって、
あなたの元へと飛んでいき、あなたの胸に飛び込んでいきたいのです。
ただしあなたが私を迎えてくれる気持ちがないのならば、
私はあなたの元へ飛んでいくことすら叶わないのです。
王粲による「七哀詩(其一)」
西京亂無象(西京 乱れて象無く)
豺虎方遘患(豺虎 方に患いを遘う)
復棄中國去(復た中国を棄てて去り)
遠身適荊蠻(身を遠ざけて荊蛮に適く)
親戚對我悲(親戚 我に対して悲しみ)
朋友相追攀(朋友 相追攀す)
出門無所見(門を出でて見る所無く)
白骨蔽平原(白骨 平原を蔽う)
路有飢婦人(路に飢えたる婦人有り)
抱子棄草間(子を抱きて草間に棄つ)
顧聞號泣聲(顧みて号泣の声を聞くも)
揮涕獨不還(涕を揮いて独り還らず)
未知身死處(未だ身の死する処を知らず)
何能兩相完(何ぞ能く両ながら相い完からん)
驅馬棄之去(馬を駆りて之を棄てて去る)
不忍聽此言(此の言を聴くに忍びず)
南登霸陵岸(南のかた霸陵の岸に登り)
回首望长安(首を迴して長安を望む)
悟彼下泉人(彼の下泉の人を悟り)
喟然伤心肝(喟然として心肝を傷ましむ)
-翻訳-
長安は荒らされ無秩序な状態で、
ろくでもない連中(李傕・郭汜)が暴れまわっている。
だから私は再び都を捨て去り(一度目は董卓遷都前の洛陽)、
荊州の片田舎へと身を寄せていったのだ。
私の一族は私との別れを悲しみ、友人は私との別れを惜しんでくれた。
城門を出ると、そこは荒れ果てていて見れたものではなかった。
戦禍の犠牲になった者達の白骨が延々と続いていたのだ。
道の片隅に飢えた女がおり、
赤ちゃんを抱いていたが、その赤ちゃんを草むらに捨てていた。
女は赤ちゃんの泣き声を聞いて振り返るも、涙を拭いて去って行った。
「私一人でさえ、いつ野垂れ死にしても不思議ではない。
ましてやあなたと一緒なら確実に共倒れの未来しかないでしょう」という言葉を残して・・・。
この言葉を聞いた私は、
胸が締め付けられるような気持ちに耐え切れず、
馬に鞭を打って駆け出したのだ。
長安の南にある覇陵の岸まで来たところで、長安の方向を振り返って眺めた。
悪性に苦しみ善政を願う民衆の気持ちが収められた詩(詩経/曹国の詩)があるが、
その気持ちが痛いほど分かってしまったよ。
最後に
「七哀詩」はタイトルからも分かる通り、悲しい気持ちが綴られた詩になります。
ちなみに悲しい歌の時には「七」という漢字を使う事が多かったようですね。
今回紹介した曹植の「七哀詩」は、
夫の帰りを待つ妻の悲しい気持ちを表しています。
一方の王粲の「七哀詩(其一)」は、董卓の暴政で長安へと連れてこられ、
董卓が死んでからも董卓子飼いの武将であった李傕・郭汜によって長安が荒らされてしまって、
更に長安を離れ、荊州へと流れていく王粲自身の体験を詠んでいますね。
ちなみに王粲の七哀詩を其一と記載しているのは、
実際は三首(其三)まであるからです。
またそれ以外にも曹植・王粲同様に、
建安の三曹七子の一人に数えられた阮瑀もまた七哀詩を詠んでいるので、
別の機会にそのあたりも紹介してみたいと思います。