劉備敗北により、関羽が曹操に降る

徐州での戦いで、劉備が曹操に敗北し、

 

その時に城を守っていた関羽は、劉備の安否も分からなくなった為、

劉備の妻子を守る為に、曹操に降伏します。

 

曹操は関羽を臣下にできる事を望んでいた為、

大喜びで関羽を厚遇します。

劉備を発見

曹操と袁紹との戦争が起こり、

関羽は曹操軍の一員のとして大活躍をします。

 

一番の成果は、袁紹軍の猛将である顔良を討ち取り、

戦の流れを変えたことです。

袁紹軍の猛将「顔良」

 

ちなみに演義では、文醜も討ち取っている事になっていますが、

それはあくまで演義だけの話です。

袁紹軍の猛将「文醜」

 

大活躍をした関羽ですが、

その戦の最中、袁紹軍に身を寄せていた劉備を見つけます。

関羽の千里行

劉備を見つけた関羽は、

曹操に許可を取ろうとするも曹操と会う事ができません。

 

これは劉備の元に戻るのを防ぐため、

関羽と会わないように「面会謝絶」の札をかけてたんですよね。

 

ただ曹操への恩は十分返し、礼は尽くしたとの判断から、

これまで曹操から頂いた金銀財宝などはきちんと屋敷に残し、

そのまま曹操のもとから去ります。

関羽の口髭へのこだわり

 

ここで問題が発生します!

 

劉備の元に行く際に、5つの関所があったんですが、

そこを通過する為には、通行手形を見せないと通過できないものでした。

 

その為、関所で通してもらえず、仕方なしに、

関羽は5つの関所を守っていた守将達を切り捨て強行突破します。

 

 

最後に5つの関所を突破した関羽に怒り、夏侯惇が追ってきます。

 

そして関羽と夏侯惇の一騎打ちが始まりますが、

なかなか決着がつきません。

 

そんな最中、曹操から関羽通行の許可を伝える為に、

張遼がやってきて、二人の間を仲介します。

 

正式に許可を貰った関羽は、

最終的に張飛と汝南(じょなん)で合流し、その後、劉備と合流します。

 

これが有名な関羽の千里行の話です。

5つの関所と守将と経緯

東嶺関(とうれいかん)

第一の関所

守将は孔秀(こうしゅう)

「三国志演義」に登場する架空の人物。

経緯

孔秀は関羽に通行手形が無かった為、通行させませんでした。

 

これに対して無理やり通ろうとする関羽に対して、

妻子の人質を強要します。

 

これに激怒した関羽に切られて、関所を突破されます。

洛陽(らくよう)

第二の関所

守将は韓福(かんふく)

「三国志演義」に登場する架空の人物。

経緯

東嶺関の孔秀が関羽に斬られたと聞き、

部下と共に関羽を捕らえる作戦会議をします。

 

韓福は作戦を実行し、

韓福は矢を放って関羽の左肘を射抜きます。

 

しかし、関羽はその傷をものともせず韓福を切り殺し、

関所を突破されます。

沂水関(きすいかん)

第三の関所

守将は卞喜(べんき)

「三国志演義」に登場する架空の人物。

経緯

2つの関所を関羽が突破したことを知ると、

関羽を殺すために、鎮国寺という寺に伏兵を忍ばせます。

 

しかし寺の僧侶である普浄(ふじょう)が、関羽に密告した事で伏兵が露見。

 

最後は、流星鎚という武器を飛ばして戦いますが、

関羽に切り殺され、関所を突破されています。

滎陽(けいよう)

第四の関所

守将は王植(おうしょく)

「三国志演義」に登場する架空の人物。

経緯

関所突破を続けている関羽に対して、

王植は関羽の宿舎を焼き討ちしようと計画を立てます。

 

そして部下である胡班(こはん)に焼き討ちの命令をしますが、

胡班は、関羽にこの事を知らせました。

※後々、胡班は劉備に仕えます。

 

そして胡班の道案内により、劉備の妻子を連れて関所を通行。

 

しかし、これに気付いた王植が追撃してきますが、

あっさり関羽に切り殺されてしまいました。

滑州(かつしゅう)

第五の関所

守将は秦琪(しんき)

「三国志演義」に登場する架空の人物。

経緯

三国志演義では、秦琪は黄河の渡し口で、

船で渡ろうとしている関羽と出会い、通行手形の提示を求めます。

 

関羽は通行手形を持っていなかった為、

見せる事を拒み、激しい口論になります。

 

その後、秦琪は関羽に斬りかかりましたが、

見事なまでに返り討ちにあって殺されてしまいました。

 

秦琪が殺されたのを目の前で見た兵達は、

関羽のために必要な船を急ぎ用意しています。

 

千里行の不自然なルート

 

関羽は、曹操の本拠地である許昌(きょしょう/現在の河南省許昌市)を出発しています。

 

最初に関羽が通った関所は、

孔秀が守る東嶺関(現在の河南省許昌市禹州)でした。

 

 

次に通ったのが韓福が守る洛陽(現在の河南省洛陽市)

ここまでは許昌から見て西に進んでいたことが分かります。

 

3番目の関所は、卞喜の護っていた沂水関(現在の山東省臨沂市)

今まで西に進んでいたのに、ここでいきなりUターンして東に進路を変更しています。

かなり変な感じがしますね。

 

 

おかしなルートはここでは終わりません。

4番目の関所である滎陽(現在の河南省鄭州市)は、

沂水関の関所からまた再度Uターンしたことになります。

 

最後の関所は、滑州(現在の河南省安陽市)。

ここは滎陽から北東の位置になり、150km程度の距離になります。

 

 

演義では黄河を渡る前にあるような位置づけになっていますが、

ここは普通に考えると、黄河を渡った先になります。

完全に袁紹の管轄下です。

 

曹操の武将が守っている事が、そもそもおかしな話です。

 

ちなみに出発点が許昌である事を考えると、

許昌から北北東に滑州が存在しているため、

最初に西の洛陽に寄り道した意味が完全に不明です。

 

また西に行ったり、東に行ったりと、

意味不明な遠回りしたルートになっています。

不自然なルートから考えられる可能性

当時袁紹と曹操は黄河を境に争っていましたから、

黄河を渡れるルートを探していた為、西に東に右往左往した可能性はあります。

 

その点を考慮すると、

第一の関所である東嶺関~滎陽は、まだ納得ができるものです。

 

 

ただそう考えた場合でも一つだけどうしても

解決できない問題があります。

 

それは、第五の関所である滑州です。

さすがに袁紹管轄下にあるところに曹操軍の関所があるのはおかしな話です。

 

この点から考えられる点は、

当時の滑州の位置が今の時代と違ったのかもしれない点です。

 

滑州とはもともと滑県と呼ばれていました。

滑州と呼ばれ始めたのは、隋代から明代になってからの話です。

 

その為、この時代の滑州は、

滎陽の北あたりにあった可能性があるということです。

 

そうであれば千里行で、関羽が通った関所のルートは納得できるものです。

正史から見る関羽の千里行

蒼天航路(17巻5P)より画像引用

 

次に、関羽の千里行について、正史の記録からみていきたいと思います。

正史には以下のように記録が残っています。

 

関羽が劉備の元に戻る為に、

曹操の元を去ったという記録はきちんとあります。

ただ演義の話とは全くもって違います。

 

曹操からきちんと許可を貰った関羽は、

許昌から直接に張飛達がいる汝南へ向かったのですから。

 

 

曹操の面会謝絶の悪戯は、もちろんありません。

 

また、演義で書かれていた関所突破はありえません。

ましてや汝南と全く違う場所である洛陽方面などはありえない話です。

 

演義では、関羽の劉備への忠誠心を誇張する為に、

「関羽の関所突破による千里行」という話が作られたと推測されます。

 

よってこの演義で壮大に描かれている関羽の千里行の話は、

実際にはなかったものだという事ができます。