呉の地盤を築くことに成功した孫権ですが、

孫権に引き継がれるまで父である孫堅、兄である孫策の存在を忘れてはいけません。

 

 

孫堅の祖先は春秋戦国時代の孫氏の末裔と言われていますが、

 

その系譜はあやふやな所があり、

孫堅の立ち位置も高いわけではなかったのが実情です。

 

 

だからこそ孫堅は名家であった呉家から、

半強制的に呉夫人を強制的に娶っているのもそのためでしょうね。

 

ここではそんな孫堅の息子である孫策・孫権と名士との歴史について、

流れをみていきたいと思います。

孫堅の妻として、孫策・孫権の母として支え続けた呉夫人(ごふじん/呉氏) ~呉夫人なくして呉なし〜

孫策 -袁術軍の一員として-

蒼天航路(8巻157P)より画像引用

 

孫堅が袁紹・袁術の争いに巻き込まれる形で、

劉表との戦いの最中に戦死すると、孫堅の将兵は袁術に吸収される形になります。

 

まぁ正確には孫堅の甥である孫賁が軍勢を引き継いで、

袁術の傘下として活動することを決断したというのが正確な所ですけどね。

 

 

とにもかくにも孫堅に従っていた者達は、袁術の臣下になったわけです。

 

 

その中で頭角を現しだしたのが、孫堅の長男であった孫策でした。

 

孫策に付き従う者は呂範ぐらいしかおらず、

孫策がいくら成果をあげても袁術に利用されていたのが現状だったのです。

 

「九江・廬江郡を攻略したら太守にしてやるよ!」

との袁術の言葉に従い、孫策が攻略しても簡単に約束を破られるという・・・

 

 

そんな中で孫策は孫堅の旧臣であった朱治・黄蓋・程普といった者達を返してもらうことに成功し、

江東制覇へとつながっていきます。

 

ただ孫策の快進撃の裏側には、

江東の名士との対立が激化していくこととなるわけですが・・・

孫策 -名士との対立-

蒼天航路(8巻151P)より画像引用

 

孫策は袁術の命令によっておこった廬江攻めですが、

この時に廬江太守を務めていたのが陸遜の親戚にあたる陸康でした。

 

 

陸氏は「呉郡の四姓」にあたる家柄です。

 

ちなみにですけど、「呉郡の四姓」とは次の四つになりますね。

  • 陸氏(田斉の末裔)
  • 張氏(張良の末裔)
  • 顧氏(勾践の末裔)
  • 朱氏(国の君主の末裔)

 

 

この戦いで陸康は敗れ、そんな中で病死してしまいます。

 

陸康の一族はこの戦いによって殺されたり、

なんとか生き残った者達も離散したり、飢えに苦しんだりしました。

 

 

この孫策の仕打ちは、

陸氏だけでなく「呉の四姓」にも噂は広がっていくこととなり、

 

「呉の四姓」との間に大きな確執を作ってしまいます。

呉の四姓(顧氏・陸氏・朱氏・張氏)

孫策 -周瑜の存在-

蒼天航路(8巻183P)より画像引用

 

「呉の四姓」は呉郡で有名な四氏ですが、

呉郡はいわずもがな揚州の一部地域における地名です。

 

まぁ後に孫権が呉を建国した際の名前と使われるわけですから、

重要な地域であったことは間違いないわけですが・・・

 

 

ここで登場するのが周瑜ですね。

 

 

周瑜は揚州を代表する名家の出身であり、

周瑜の従祖父にあたる周景やその子である周忠なんかは、三公である大尉になっていますからね。

 

 

周忠という人物も知らない人は多いかもしれませんが、

 

周瑜と同時代を生きた人物であり、

董卓・李傕・郭汜とかが暴れていた時代に翻弄された人物の一人です。

 

 

最後は李傕らによって殺害されようとしたけれども、

賈詡によって命を助けられたという記録が残っていたりしますね。

 

その後はどうなったか記録が残っていませんが・・・

 

 

そんな名家の出身であった周瑜が、

半ばならず者集団であった孫策に味方したことは非常に大きな意味があったわけです。

 

この時代は力だけの統治では限界があり、

必ず名士という存在が大きな影響力を持っていました。

 

名士の協力を得られなければ、

地盤を安定させることは困難であったといってもいいほどです。

 

 

例えば董卓を殺害した王允ですが、

名士であった蔡邕を殺害したことで王允から離れる者達も続出しましたし、

 

劉備も益州を手に入れた際は、益州の名士を数多く採用していますから・・・

 

 

ただ孫策は「呉の四姓」と対立しながらも、

張昭・張紘といった名士らを陣営に迎える努力もしています。

 

ただその中で江東制圧への動きが早すぎる中で多くの名士がないがしろにされた事も事実で、

その結果として多くの敵を作ってしまったのも間違いありません。

 

それが緩和されていくのが次の孫権の時代になりますね。

生涯かけて剛直な態度を貫いた呉の御意見番「張昭」

多くの権力者に求められた張紘

孫権 -名士との協力体制を築く-

孫策が呉郡太守であった許貢の配下によって殺害されると、

 

孫権が跡を継ぐのですが、兄の孫策が作ってくれた地盤をもとに、

孫権は名士の取入れに力をいれていくこととなります。

 

 

ただこの時に孫策から仕えていた周瑜・張昭・張紘の存在が、

非常に大きかったのは言うまでもありません。

 

これにより孫権陣営には、

魯粛・顧雍・歩隲といった者達が加わっていくこととなります。

孫権 -陸遜の加入による「呉の四姓」との和解-

孫策が陸遜の一族でもあった陸康との戦いにより、

多くの陸家の人間を死に追いやったことから特に陸家と孫家との対立は大きなものでした。

 

それが「呉の四姓」に影響を及ぼし、対立を生んでいたわけです。

 

 

しかし陸遜が孫権陣営に加入したことで、

「呉の四姓」との関係が良い方向に変化していきます。

 

またそれだけでなく孫権は、

陸遜に陸氏と因縁が深かった孫策の娘を嫁がせています。

 

 

孫権は江東・江南を治めていく上で、

孫氏と陸氏の因縁を完全に断ち切らないといけないと考えたのでしょう。

 

こうやってならず者集団の色が濃ゆかった孫堅・孫策の時代を経て、

名士によって支えられる孫権政権へと変化していくこととなったのでした。

裴松之から嫌われた陸遜