諸葛亮の末裔(子孫)が多く住んでいる場所に、
諸葛八卦村(浙江省金華市蘭谿市)があります。
ここに住むほとんどの人達が諸葛亮の子孫だとされており、
村の名前からも分かる通り、村全体が八卦の形となっているのが由来で、
諸葛亮の兵法に由来する村になります。
外敵がもし侵入してくるようなことがあれば、
道を迷わせるといった目的があったと言われていますね。
ちなみにこの村の子孫は、
諸葛亮の孫にあたる諸葛京の末裔だとされています。
諸葛京は諸葛瞻の息子であり、綿竹関で討死した諸葛尚の弟になりますが、
後に羅憲の推挙により晋に仕え、最終的に江州刺史にまで昇進した人物になります。
そして1280年頃に、
諸葛亮から数えて27代目にあたる諸葛大獅がこの土地に移り住み、
諸葛八卦村を設計して作ったと言われています。
今回はそんな諸葛八卦村に残されている「誡子書」を紹介したいと思います。
パリピ孔明で普通に取り上げられた事で、
「誡子書」の知名度は今まで以上に高まったかもしれませんね。
「誡子書」は「子を誡める書」と読めることからも推測できますが、
信憑性の有無はまた別として、
諸葛亮が己の子孫に向けて残した言葉と言われています。
「誡子書」原文
夫君子之行、静以修身、倹以養徳。
非澹泊無以明志、非寧静無以致遠。
夫学須静也、才須学也。
非学無以廣才、非志無以成学。
滔慢則不能励精、険躁則不能治性。
年与時馳、意与日去、遂成枯落、多不接世。
悲守窮廬、将復何及。
「誡子書」書き下し文
夫れ君子の行いは、静を以て身を修め、倹を以て徳を養う。
澹泊に非ざれば、以て志を明らかにすることなく、寧静に非ざれば、以て遠きを到すことなし。
夫れ学は須く静なるべく、才は須く学ぶべし。 学に非ざれば以って才を廣むるなく、志あるに非ざれば以て学を成すなし。
慆慢なれば則ち精を励ますこと能わず、険躁なれば則ち性を治むること能わず。 年は時と与に馳せ、意は日と与に去り、遂に枯落を成し、多く世に接せず。
窮盧に悲しみ守るも、将復何ぞ及ばんや。 |
「誡子書」翻訳
優れた人の行いは、静かに身を修め、倹約をして徳を養うものである。 無欲でなければ志は立たず、穏やかでなければ目的を達成することはできない。
学ぶ際には心が穏やかでなければならず、才能は学ぶことから生まれる。 学ばなければ才能が開花することもなく、志がなければ学ぶ事すらできない。
少しばかりの知識をつけた程度で傲慢になれば、己を奮い立たすこともできなくなる。 また短気であれば、自分自身を制御する事もできなくなる。 年月が過ぎ去るのは早く、志というものは次第に衰えていくものである。 そして最終的にはその志も朽ち果ててしまい、世の中と接する事すらなくなってしまう。
しかしそのように貧しくなってから悲嘆しても遅いのである。 |