周瑜と孫策
周瑜は主君であった孫策と同い年で、
非常に仲が良く、お互いを信頼していました。
当時周瑜の家系は孫家より立派な家柄で、
孫策が不自由ない生活ができるように立派な家を与えたという話もあります。
そして周瑜は孫策の母親である呉夫人を大事にしていました。
まさに家族ぐるみで付き合いがあったわけです。
そんな周瑜と孫策ですが、孫策が袁術の元から離れて劉繇を攻める時に、
周瑜が孫策の元に駆け付けます。
その後、破竹の勢いで江東を平らげていきます。
そしてその中で、
絶世の美女であった「二喬(大喬・小喬)」と運命的な出会いをします。
孫策が大喬を娶り、周瑜が小喬を娶り、義兄弟の関係になったのです。
これにより孫策と周瑜の関係は更に深まります。
しかし不幸な事に、孫策が許貢(きょこう)の食客らに襲われて、
その時受けた傷が元で亡くなってしまいます。
その後、孫権が跡を継ぐと、「周瑜を本当の兄と思って接しなさい」と呉夫人は孫権に言い、
孫権も周瑜を兄と思って生涯接したそうです。
孫権が周瑜に服をあげまくる
周瑜を兄と思って接していた孫権ですが、
定期的に周瑜に服をプレゼントしまくっています。
それも季節問わず、その時期にあったものを何着もあげており、
その数は合計百着以上にのぼったとされています。
夏には暑くないように、冬には寒くないように、
それだけ周瑜には快適に過ごしてほしかったのでしょうね。
周瑜と程普
周瑜は孫策・孫権を含み、多くの人々と親しくしていましたが、
孫堅の代から孫家に仕えていた程普とは、仲が良くありませんでした。
その理由は、程普が周瑜の事を若輩者と軽んじていたからです。
しかしそんな態度を続けていた程普も、
周瑜は常に腰を低くして、畏敬の念で程普と接した為、
程普は心を改め、周瑜を尊重するようになったといいます。