中原と華北ってどのあたり?
三国志を見てると、
「中原」って言葉が良く出てきますよね。
KOEIの歴史シュミレーションでも
「中原の覇者曹操」みたいな感じで出てきたりしますが、
中原って実際どの地域を指しているか分かってない人も多いと思います。
なので今回は中原にライトを当ててみます。
後は中原と同様に、「華北」って言葉も合わせて紹介したいと思います。
中原の場所
「中原」というのは、簡単に言ってしまうと、
黄河の中流と下流地域を指しています。
もう少し詳しく見ると、
司隸(司州)・兗州・豫州・徐州の4州を合わせた地域が、
大体中原の位置になるかと思います。
このあたりはずっと昔から長らく交通の要であり、
発展した都市が多く、栄えていました。
なので「中原を治めた者が天下を制する」と言われた程です。
ちなみにですが、諸葛亮が出師表にも中原という言葉が出てきますが、
これは黄河全域の事を指しています。
なので完全にここからここまでが中原であるというのではなく、
人によってとらえ方は多少ずれがあったものと思われます。
華北の場所
華北とは袁紹が地盤とした地域であり、
黄河より北の土地を「華北」と呼ぶ事が多かったようです。
もう少し詳しく見ると、
幽州・冀州・并州付近だと言えますが、
黄河下流にあたる青州も含められる事は多いようです。
黄河下流にあたるので、
青州は中原に入れられる場合もありますが、
このあたりは、あやふやな位置づけになっています。
この時代、袁紹の領地であった場所をまとめて華北とし、
曹操の領地であった場所を中原とした為、
青州が華北に位置付けられたのかもしれませんね。