三国志演義の日本への伝来&翻訳

「三国志演義」や「水滸伝」が、

中国から日本へと貿易船を通して長崎県の平戸に伝来してきたわけですが、

 

当時は中国語の読み書きをできる人がほとんどいなかったのですが、

「通俗三国志」「通俗忠義水滸伝」に翻訳された事がきっかけで大きく普及してきます。

 

 

ちなみに「三国志演義」「水滸伝」は、「西遊記」「金瓶梅」と並んで、

「中国四大奇書」と呼ばれる長編小説と呼ばれるものです。

 

 

 

ここでは水滸伝・西遊記・金瓶梅についてのことは書きませんが、

 

「三国志演義」が初めて日本で翻訳されたのは、

湖南文山による「通俗三国志(五十巻)」になります。

絵本通俗三国志

「通俗三国志」に大きな転換期を迎えたのが、

これにイラストが添えられた「絵本通俗三国志」になります。

 

この時に多くのイラストを描いたのが浮世絵師であった葛飾戴斗とされています。

 

「絵本通俗三国志」は、今でいう所の、

「三国志の漫画の先駆け」と考えてもらうと分かりやすいかと思います。

 

ただ周瑜や諸葛亮をはじめ、多くの人物が「ひげもじゃ」の姿で描かれていますね。

 

 

ちなみに葛飾戴斗は葛飾北斎の弟子であり、

「戴斗」も葛飾北斎から譲られた号であったりしす。

 

 

また「通俗三国志」に大きな影響を受けた人物が、

吉川三国志で知られる吉川英治なのは有名な話であり、

 

その吉川三国志に影響を受けたのが横山光輝だったりします。

「銀坑洞七擒孟獲」「空城計」

〈銀坑洞七擒孟獲〉-京都精華大学情報館所蔵品-

 

〈空城計〉-中国美術館所蔵品-

 

「絵本通俗三国志」を含め、江戸時代の浮世絵師に大きな影響を与えたものに、

長崎県の平戸を通して日本へ伝来した桃花塢年画とうかうねんががあるのですが、

 

三国志に関する作品としては「銀坑洞七擒孟獲」「空城計」が有名だったりしますね。

 

 

どちらも諸葛亮に関係する逸話に関するものですが、

「銀坑洞七擒孟獲」は七縦七擒で知られる諸葛亮と孟獲の逸話であり、

 

一方の「空城計」は、城を空のように見せかけて司馬懿を欺いたものになります。

 

 

また「桃花塢年画」といわれる由縁は、

桃花塢(中国江蘇省蘇州市姑蘇区桃花塢)で制作されていた年画(版画)だからです。

 

ちなみに蘇州市は「東洋のヴェネチア」とも言われる水郷都市で、

桃花塢年画の技術は、今現在もきちんと受け継がれているのは余談です。