目次
関興と張苞

関興と張苞は、関羽と張飛の息子にあたる人物です。
三国志演義では、父たちの志を受け継ぐ若き英雄として大活躍し、
諸葛亮の北伐を支える重要人物として描かれています。
しかし正史三国志を見ると、二人の実像は演義とはかなり異なっています。
特に張苞に至っては、演義のような華々しい活躍どころか、記録そのものが極めて少ない人物です。
ここでは、
- 正史における関興・張苞
- 三国志演義での関興・張苞
を整理しながら詳しくまとめていきます。
正史における関興
-関羽の息子として期待された人物-
関興は、名将である関羽の子です。
「蜀志」関羽伝によれば、関羽の死後もその名声は極めて大きく、
蜀漢内部では「関羽の後継者」として大きな期待を受けていました。
そのため関興は若くして抜擢され、侍中・中監軍などの重要職に任じられています。
これは蜀漢でもかなりの厚遇されたと言えるでしょう。
ただし、関興は演義ほど戦場で大活躍した人物ではありません。
実際の記録を見ると、
- 大規模戦闘での武功
- 北伐での活躍
などの記録は存在しません。
むしろ正史では、
「若くして期待されながら、早世した人物」
として描かれています。
つまり蜀漢側から期待はされていたものの、
本格的に才能を発揮する前に亡くなってしまった可能性が高い人物ということです。
正史における張苞
-記録が極めて少ない人物-
張苞は張飛の子ですが、正史では関興以上に記録が少ない人物になります。
「蜀志」張飛伝には、張飛の子として名前が出る程度で、
- 武功
- 官職
- 性格
などは何も記録に残されていないばかりか、
張飛が殺害される前に既に亡くなっていた謎多き人物でもあります。
張飛の後継として史書に見えるのは弟の張紹であり、張苞の活動記録が全くないわけです。
つまり演義で描かれる、
- 夷陵の戦い参戦
- 北伐での大活躍
といった姿は、ほぼ創作ということになります。
三国志演義での関興と張苞

-関羽・張飛の後継者としての登場-
三国志演義では、関興と張苞は非常に重要な役割を与えられています。
演義において関羽と張飛は、
- 劉備を長兄
- 関羽を次兄
- 張飛を末弟
とする義兄弟でした。
その流れを受け継ぐように、関興と張苞も義兄弟の契りを結びます。
ただしこちらは、
- 張苞が兄
- 関興が弟
という逆の関係として描かれています。
これは単純に張苞の方が年長という設定から決定しています。
夷陵の戦いでの活躍(演義)
演義での関興・張苞の二人は、夷陵の戦いから登場しています。
劉備が関羽の仇討ちのため呉へ侵攻した際、関興・張苞は若き武将として先鋒を務めます。
ここでは敵将討伐など数々の武功を立て、父たちに劣らぬ猛将として描かれています。
また二人の最大の見せ場は、諸葛亮の北伐です。
諸葛亮は、趙雲・魏延・姜維らと共に、関興・張苞を重用します。
特に演義では、
「関羽と張飛の魂を受け継ぐ若武者」
として描かれており、蜀漢軍の希望の象徴のような存在でした。
張苞と関興の最期(演義)
第二次北伐の際、張苞は敵を追撃中に崖から転落します。
その負傷が原因で病を患い、そのまま死亡しました。これを聞いた諸葛亮は深く悲しみます。
関興もその後に病に倒れ、若くして死去しています。
諸葛亮は、「忠義の士の命を、天はなぜ早く奪うのか」と嘆き悲しんだ姿が描かれています。
演義では、関興・張苞の死は、
「劉備・関羽・張飛の時代の終焉」を象徴する重要場面になっています。
三国志演義で二人を活躍させた理由
羅貫中は「三国志演義」を書くにあたり、
劉備・関羽・張飛の義兄弟物語を非常に重視しました。
しかし現実には、
- 関羽は敗死
- 張飛は暗殺
- 劉備も夷陵敗北後に死去
してしまいます。
そこで演義では、「父たちの志を息子たちが継ぐ」という美しい構図を作り上げたのです。
つまり、
関興=関羽の後継
張苞=張飛の後継
として物語を継承させたわけです。
正史だけを見ると、関興も張苞も決して大英雄ではありません。
しかし三国志演義は、「父の志を子が継ぐ」というテーマを二人に与えました。
その結果、
- 関羽と張飛の精神を受け継ぐ若武者
- 諸葛亮を支える蜀漢の希望
- 忠義を象徴する存在
として、後世に非常に人気の高い人物となったのです。
つまり関興・張苞は、「史実の英雄」というより、
「三国志という物語を美しく完成させるための象徴的存在」
として大きな意味を持っている人物達であったと言えるでしょう。
正史と演義の違いまとめ
| 項目 | 正史 | 三国志演義 |
|---|---|---|
| 関興 | 若くして重用されたが早世 | 北伐の主力武将 |
| 張苞 | 記録ほぼ無し | 蜀漢屈指の猛将 |
| 義兄弟設定 | 無し | 張苞・関興で義兄弟 |
| 夷陵参戦 | 記録無し | 主力として活躍 |
| 北伐参加 | 記録無し | 諸葛亮の側近 |
| 最期 | 詳細不明 | 張苞は事故死、関興は病死 |
| 諸葛亮との関係 | 特筆無し | 深い信頼関係 |


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