三国時代には様々な将軍職が登場しますが、

 

似たような将軍名も多く、「どの役職が偉いの?」とか素朴な疑問がわきやすいので、

今回は三国時代の将軍職をまとめたいと思います。

 

 

特に三国時代は魏呉蜀それぞれにしか作られていない将軍であったり、

もともとあった将軍職を少しもじったようなものも沢山作られた時代でもありました。

 

ただそうはいっても、

前漢・後漢時代の将軍職がベースになっていたのは言うまでもありません。

大将軍(一品官)

将軍職の最高位が大将軍になります。

 

これは霊帝の妻であった何皇后の兄である何進が任命されていた事でも有名です。

まぁ何進は宦官との権力争いに敗れて殺害されていますけどね。

 

献帝(後漢)より任命された人物として、曹操・袁紹が挙げられます。

 

 

他にも韓暹かんせんという人物も大将軍に任命された事を知る人はおそらく少ないでしょうね。

 

韓暹は略奪などを平気で行う盗賊まがいの人物ではありましたし、

袁術から呂布に寝返った人物としてのイメージが根強く残っているとは思いますが、

 

196年に献帝を長安から洛陽へ無事に守り抜いたことから、

翌年であった197年に大将軍に実は任命されていたんですよね。

 

ただ曹操が献帝を迎えて後は普通に落ちこぼれています。

 

  • 魏:夏侯惇・曹仁・曹真・曹爽・司馬懿・司馬師・司馬昭等
  • 呉;陸遜・呂岱・孫綝等
  • 蜀:蒋琬・費禕・姜維・閻宇等

驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍(二品官)

驃騎将軍

  • 魏:司馬懿・曹洪・孫資・王昶・司馬望等
  • 呉:歩騭・朱拠・呂拠・張布等
  • 蜀:李厳・馬超・呉班等

 

車騎将軍

  • 魏:曹仁・程昱・張郃・郭淮・王淩等
  • 呉:朱然・劉纂等
  • 蜀:張飛・呉懿・鄧芝・張翼・廖化・夏侯覇等

 

衛将軍

  • 魏:曹洪・司馬師・司馬昭・孫資・胡遵・司馬望等
  • 呉:全琮・士燮・濮陽興等
  • 蜀:姜維・諸葛瞻等

 

 

驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍は、大将軍に次ぐ将軍職であり、

官職の三公にあたる将軍職がこの三つになります。

 

どれも二品官で立場的には同列に近いのですが、

 

一応驃騎将軍(一番)→車騎将軍(二番)→衛将軍(三番)といったふうに

この三将軍の中では驃騎将軍が上位になります。

 

 

驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍は、

基本的にどれも劉邦が創設した前漢以降に作られた将軍職で、

異民族討伐や反乱討伐の為に設けられたのがきっかけで、非常設のものでした。

 

 

驃騎将軍は、紀元前121年の前漢の武帝の時代に、

反乱討伐の為に霍去病かくきょへいが任命された事に始まった将軍職であり、

 

車騎将軍は劉邦に仕えた灌嬰かんえいが始まりだと言われています。

 

 

曹操の息子である曹彰が、

「いつか霍去病や衛青のような将軍になりたい」と言っており、

その願いが聞き届けられて鳥丸族討伐に行って大手柄をあげたことがありました。

 

ちなみに衛青は霍去病の叔父にあたり、車騎将軍・大将軍を歴任した人物でもあります。

曹操が曹彰に鳥丸族討伐の総大将を任せた裏事情

 

他に少し気になる点として挙げるとすれば、

廖化と張翼を車騎将軍として記載していますが、

 

実際は廖化を「右車騎将軍」、

張翼を「左車騎将軍」として左右に分けて任命していることですかね。

撫軍将軍(二品官)

驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍に次ぐ将軍職であり、

魏呉蜀全てに設置された将軍職です

 

ちなみに呉や蜀では「大」という文字はつかず、

あくまで撫軍将軍であり、後方支援などの役割を担った将軍職になります。

 

  • 魏:司馬懿・司馬師・司馬炎等
  • 呉:歩協
  • 蜀:蒋琬

中軍大将軍・上軍大将軍・南中大将軍・輔国大将軍・鎮軍大将軍(二品官)

鎮軍大将軍(魏呉蜀)/全軍の総監督

  • 魏:陳羣
  • 呉:不明
  • 蜀:宗預

 

中軍大将軍(魏のみ)
※上軍大将軍より立場的には上の将軍職

  • 魏:曹真

 

上軍大将軍(魏のみ)

  • 魏:曹真

 

南中大将軍(魏のみ)

  • 魏:呂興

 

輔国大将軍(魏蜀)

  • 魏:不明
  • 蜀:董厥

 

上軍大将軍と中軍大将軍を見た際に、

上軍大将軍・中軍大将軍に任命されているのが分かります。

 

ここで勘違いしてはいけないのが、

上軍大将軍の方が中軍大将軍より立場的に上のような将軍職に見えますが、

 

中軍大将軍の方が将軍職的には上位役職にあたるという点です。

 

 

戦争などを行う際に中軍が本隊にあたることを考えると、

少しは理解しやすいかなと思います。

 

軍編成を行う際に「三軍」というのは聞いたことある人は多いかと思いますが、

三軍というのは上軍・中軍・下軍で編成されており、上軍・下軍は中軍を守る為の軍でもあります。

 

 

それ以外に気になる点としては、南中大将軍に任命された呂興ですが、

呉に対して反乱を起こし、後に交州九真郡で反乱を起こした趙氏貞ちょうしてい(趙嫗)らに影響を与えた人物です。

 

呂興は蜀が魏に滅ぼされたあたりのタイミングで、

呉から魏へ臣従したいと申し出てそれが認められた際に南中大将軍に任じられていますが、

 

呂興にその書簡が届く前に、功曹の李統によって殺害されてしまっています。

 

 

そういう面でみると、

南中大将軍にきちんと任命された人はいないのと同じになりますね。

 

一応表面的には呂興が任命されたという感じです。

 

 

上で紹介した撫軍大将軍(撫軍将軍)と基本的に同じ立ち位置的なポジションですが、

 

一つ大きく違うのは、撫軍大将軍(撫軍将軍)が常設された将軍職であり、

それ以外の中軍大将軍・上軍大将軍・南中大将軍・輔国大将軍・鎮軍大将軍は非常設の将軍職ということです。

 

そういった意味でも驃騎大将軍・車騎将軍・衛将軍の三将軍に次ぐのが、

撫軍大将軍(撫軍将軍)にあたります。

征東・征南・征西・征北将軍(二品官)

東西南北の方面軍事司令官であり、

もしもその方面に敵がいなかった場合は設置されません。

 

征東・征南・征西・征北将軍をまとめて「四征将軍」と呼んだりしますが、

基本的にその方面に敵がいた時に任命されるものとなっています。

 

例えば魏を例に出してみると、

匈奴・鮮卑・鳥丸族など北方異民族の対策として征北将軍、

南東の呉に対して征東将軍、南西の蜀に対して征西将軍、荊州方面(呉蜀)を征南将軍に任じて指揮をとらせた形です。

 

 

ちなみに四征将軍の地位が三公の次ぐような地位になったのは、

曹丕が皇帝になって魏を建国してからになります。

 

後漢時代の四征将軍の地位は、そこまで高くはありませんでした。

 

征東将軍

  • 魏:張遼・曹休・満寵・王淩等
  • 呉:不明
  • 蜀:不明

 

征南将軍

  • 魏:曹仁・王昶・夏侯尚等
  • 呉:不明
  • 蜀:趙雲

 

征西将軍

  • 魏:夏侯淵・郭淮・鄧艾・陳泰・夏侯玄等
  • 呉:留平
  • 蜀:黄忠・魏延・姜維・陳到・宗預等

 

征北将軍

  • 魏:何曽・李楽等
  • 呉:朱然・陸凱・陸抗等
  • 蜀:申耽

鎮東・鎮南・鎮西・鎮北将軍(二品官)

四征将軍同様に方面軍事司令官であり、

鎮東・鎮南・鎮西・鎮北将軍をまとめて「四鎮将軍」と呼びます。

 

四征将軍と同様に二品官にあたりますが、

立場的には四征将軍の方が上位の将軍職になります。

 

 

ちなみに魏呉蜀に分かれる前の時代には、

鎮東将軍に曹操や劉備も任じられたことがある役職です。

 

鎮東将軍

  • 魏:臧覇・夏侯楙・諸葛誕・毌丘倹等
  • 呉:顧裕・朱績等
  • 蜀:不明

 

鎮南将軍

  • 魏:曹仁・王昶・夏侯尚等
  • 呉:朱異・孫慎等
  • 蜀:趙雲・馬忠・輔匡

 

鎮西将軍

  • 魏:曹真・鄧艾・鍾会等
  • 呉:陸遜・朱琬等
  • 蜀:胡済

 

鎮北将軍

  • 魏:許允・劉靖等
  • 呉:孫韶・全緒等
  • 蜀:黄権・魏延・王平等

安東・安南・安西・安北将軍(三品官)

四征将軍・四鎮将軍同様に方面軍事司令官になり、

安東・安南・安西・安北将軍をまとめて「四安将軍」と呼びます。

 

ただ四征将軍・四鎮将軍が二品官なのに対して、四安将軍は三品官となっています。

 

安東将軍

  • 魏:陳騫
  • 呉:徐盛・賀斉等
  • 蜀:不明

 

安南将軍

  • 魏:不明
  • 呉:陸胤・呂岱等
  • 蜀:霍弋・馬忠等

 

安西将軍

  • 魏:曹仁・鄧艾等
  • 呉:不明
  • 蜀:不明

 

安北将軍

  • 魏:不明
  • 呉:譚正
  • 蜀:不明

 

ちなみに司馬懿の9男であった司馬倫という人物がいますが、

 

司馬倫は魏晋に仕えており、司馬炎が280年に呉を滅ぼして天下を治めた後に、

司馬倫が安北将軍として任じられたことは分かっています。

 

しかし蜀・呉が滅んだ後の話なのでカウントしていません。

 

 

司馬倫を出してしまうと、

孟観が安南将軍に任じられたことも書かないといけなくなりますが、

 

司馬倫が殺害された301年に孟観も殺害されています。

平東・平南・平西・平北将軍(三品官)

四征将軍・四鎮将軍・四安将軍同様に方面軍事司令官になり、

平東・平南・平西・平北将軍をまとめて「四平将軍」と呼びます。

 

四平将軍は四安将軍と同じ三品官にあたり、

立場としてもほぼ同列とみてよいかと思います。

 

平東将軍

  • 魏:不明
  • 呉:不明
  • 蜀:不明

 

平南将軍

  • 魏:不明
  • 呉:呂範・孫輔等
  • 蜀:不明

 

平西将軍

  • 魏:不明
  • 呉:不明
  • 蜀:馬超

 

平北将軍

  • 魏:張燕
  • 呉:潘璋
  • 蜀:馬岱

前・後・左・右将軍(三品官)

中国を統一した秦や前漢時代からの伝統的な将軍職であり、

漢帝国を代表する将軍職でもあります。

 

三国時代には、三品官という四征将軍や四鎮将軍よりも低い将軍職になっていますが、

これは三国時代という背景が影響しているのかもしれませんね。

 

そしてこの前後左右将軍は、

官職の九卿と同列にあたるのがこの将軍職でもあります。

後漢の官僚制度(三公九卿)

 

そういう伝統的な将軍職であるからこそ、

 

劉備が皇帝になった際に関羽・張飛・馬超・黄忠が任命した事には、

非常に大きな意味があったのです。

 

 

そして正史に記載が残る関張馬黄趙伝なども参考に、

 

前後左右将軍四人に趙雲を加えた計五名が、

三国志演義では五虎将軍として任命された話は有名ですよね。

 

前将軍

魏:夏侯惇・張遼・満寵・文欽等

呉:呂範・朱桓・孫秀・唐咨・鍾離牧等

蜀:関羽・魏延・李厳・鄧芝等

 

後将軍

魏:曹洪・朱霊・牛金・文聘・鍾毓等

呉:丁封・賀斉等

蜀:黄忠・姜維・宗預等

 

左将軍

魏:張郃・徐晃・于禁・郭淮・毌丘倹等

呉:諸葛瑾・丁奉・朱拠・士燮・留賛・留平・唐咨等

蜀:馬超・呉懿・向朗・龐義・句扶等

 

右将軍

魏:張郃・楽進・夏侯覇等

呉:潘璋・孫慮・呂拠・歩騭・諸葛靚等

蜀:張飛・諸葛亮・高翔・輔匡等

 

 

ちなみに董卓や公孫瓚も前将軍に任命されたりしています。

 

他には皇帝を自称した袁術に関しては後将軍や左将軍を歴任していたり、

劉備が左将軍に任じられた過去もある将軍職になります。

雑号将軍①(三品官)

ここからはあまり聞いた事がないような将軍職が沢山出てきます。

 

異民族討伐や反乱討伐など目的に応じて任命されるような将軍職であり、

一般的に「雑号将軍」と言われたります。

 

 

雑号将軍が最初に登場するのは、前漢の武帝の時代です。

 

武帝の時代は匈奴討伐に大きな成果を出していた時で、

敵地の名を入れたりと分かりやすい将軍職などが登場したのが始まりです。

 

そしてそういった将軍職が増えた事で、総称して「雑号将軍」と呼ぶようになります。

 

 

その雑号将軍にも三品官から五品官まで多くの将軍職があるわけですが、

ここでは前後左右将軍と同じ三品官の将軍職を紹介します。

征虜将軍 征蜀将軍 鎮軍将軍 鎮護将軍 安衆将軍 安遠将軍 安夷将軍 平戎将軍 平寇将軍 平虜将軍
輔国将軍 輔漢将軍 輔呉将軍 都護将軍 虎牙将軍 軽車将軍 冠軍将軍 平狄将軍 平難将軍 度遼将軍

 

雑号将軍は征蜀将軍といったように魏特有の将軍職があったりします。

ちなみに後に蜀に降る夏侯覇なんかは、魏にいた時に征蜀将軍に任命されていたりします。

 

 

他に覚えておきたいのは度遼将軍で、これは前漢の武帝の時代に作られました。

 

そしてこれは、「遼河を渡って北の異民族を攻める」という意味から、

度遼将軍という名がつけられたといいます。

 

他将軍職同様に異民族討伐の際に任命されたりする役職なんですが、

ここで手柄を立てることが、九卿への近道だと言われていたようです。

 

 

また蜀のみで使われた輔漢将軍だったり、呉のみで使われた輔呉将軍は、

常に設置されているものではありませんでしたが、

 

輔漢将軍・輔呉将軍に任じられた際は、

三品官でありながら三公に次ぐほどの将軍職だったようです。

雑号将軍②(四品官)

雑号将軍の中で四品官に属する将軍職です。

とりあえず部下をなんらかに任命する為に様々なものが作られています。

武衛将軍 中衛将軍 中堅将軍 驍騎将軍 遊撃将軍 左軍将軍 建武将軍 建威将軍
渤騎将軍 揚威将軍 揚武将軍 広威将軍 広武将軍 寧朔将軍 振武将軍 振威将軍
奮武将軍 奮威将軍 左積弩将軍 右積弩将軍 積射将軍 強弩将軍 など

偏将軍・裨将軍(五品官)

偏将軍へんしょうぐん裨将軍ひしょうぐんのどちらも前漢時代に作られた伝統的な将軍職であり、

将軍に昇進する際に多くの人物がまず最初に任命されるものとなっています。

 

どちらも独自に軍を指揮するというものではなく、

他の指揮官のもとで指揮をする将軍の一人というような役割でした。

 

 

三国時代でも多くの有名どころの人物が、

偏将軍だったり裨将軍にまず任命されている事からも、

 

将軍として出世していく上での登竜門だとも言われた将軍職でした。

 

偏将軍

  • 魏:張郃・于禁・徐晃・曹真・夏侯覇等
  • 呉:周瑜・黄蓋・韓当・魯粛・呂蒙・陸遜・丁奉・淩統・董襲・陳武・全琮。朱然・賀斉等
  • 蜀:黄権・馬超・姜維・張裔等

 

裨将軍

  • 魏:張遼・于禁・徐晃・李典等
  • 呉:程普・呂範・朱桓・周魴・呉碩
  • 蜀:李厳・王平・霍峻等

雑号将軍③(五品官)

五品官の雑号将軍はかなり多くの数があります。

 

とりあえず魏呉蜀それぞれで作りまくっているので、一部抜粋して紹介します。

 

 

魏のみ・呉のみ・蜀のみといった感じでその国独特の雑号将軍もありますし、

三国で全てにおいて設置されたものもあります。

牙門将軍 鷹揚将軍 軽車将軍 折衝将軍 虎威将軍 虎烈将軍 宣威将軍 寧遠将軍
伏波将軍 威遠将軍 綏遠将軍 安遠将軍 安国将軍 安漢将軍 軍師将軍 翊軍将軍
討逆将軍 討寇将軍 揚烈将軍 破虜将軍 横江将軍 凌江将軍 威東将軍 威南将軍
威西将軍 威北将軍 昭武将軍 昭文将軍 昭烈将軍 懐遠将軍 建義将軍 他にも沢山

 

軍師将軍は諸葛亮が任命された事で有名ですし、

 

この将軍職の名前などの影響を受けて、

策略家として優れた人達を総じて「軍師」と今現在では言われたりしています。

 

 

また三国志演義で趙雲が五虎将軍に任じられた際、

 

正史で関羽・張飛・馬超・黄忠が前後左右将軍だったのに対して、

趙雲は雑号将軍(五品官)の中の翊軍将軍であったのは有名な話です。

 

 

三国時代は前漢・後漢時代に比べて、将軍職の立場が上下に入れかわっていたり、

新しい将軍職が乱発的に作られた時代でもあったのです。