建安15年(210年)に、
袁家を滅ぼして華北を統一した曹操に対して、
献帝は武平・陽夏・苦・柘県の四県を曹操に与えようとしたのですが、
曹操は武平県のみを頂いて、残りの三県をお返ししています。
同時に曹操は、自分の人生を振り返る「述志令」を出したのですが、
これは曹操が宰相(丞相)に昇り詰めるまでの心情が述べられているものになります。
210年と言えば、曹操が亡くなる10年前の心情ということですね。
曹操の心情を本人が述べた貴重な資料でもありますし、
「述志令」にはどういったことが記載されているのかを順にまとめて紹介したいと思います。
目次
若かりし頃の曹操の心情(二十歳頃)
蒼天航路(2巻150p)より画像引用
曹操が二十歳で孝廉に推挙されて、郎中となった時の話だけれども、
私はそもそも名家といえる家柄ではなかった。
私の世間の評判は決して良いものではなく、
凡人だの、愚者であったりとろくでもない評価だった。
だからこそ今回のチャンスを活かして、
いつか地方を統括する長官になって、
「優れた政治を行って名声を獲得したい」と思っていた。
そうすれば人々の評価も変わってくるだろうから・・・
しかし私のこの夢は、
地方長官に任じられたことであっさりと叶いそうになったのである。
私は正義の為に悪事を許さない政治を行ったが、
これが逆に朝廷で力を持つ者達から疎まれるようになってしまった。
そういった者達から疎まれれば、
家族にまで害が及んでしまうことを知っている。
だから私はそういった事態を避ける為に、
病気と称して職を辞して故郷へと帰ったのだ!
帰郷した時の曹操の心境(三十歳頃)
蒼天航路(3巻220p)より画像引用
同期として共に働いていた役人には、五十歳の者達もいたが、
年齢関係なく、彼らはきちんと仕事をしていた。
そう考えると私はまだ三十歳程度の年齢だし、
二十年ぐらいは故郷で遊んでいても問題はないだろう。
そして私が五十歳になってから再び世に出たとしても、
当時の彼らと同様に五十歳程度の年齢だから、
そこから頑張っても十分に活躍することができると思う。
だから夏秋は読書に専念し、春冬は狩りをして過ごすのもいい。
たまに訪れるであろう客人にはあえて会わずに、好き勝手に過ごすのも楽でいい。
この時は本当にそう思っていた・・・
朝廷から招聘された時の曹操の心境(三十歳代)
蒼天航路(4巻76p)より画像引用
のんびり気ままに過ごそうと本気で考えていたけれども、
そんな平和を許してくれる御時世ではなく、
朝廷から将軍として招聘されてしまったのである。
将軍として起用されたからには、国の為に必死に戦い、
「征西将軍ぐらいまでは昇進してやろう」と思うようになった。
そうすれば自分が亡くなった際には、
「漢の征西将軍曹公(曹操)の墓」と功績を墓に残すことができるだろう。
董卓と戦った時の曹操の心境
蒼天航路(5巻134p)より画像引用
そう考えていたのだけれど、
その気持ちとは裏腹に漢王朝の力はますます弱いものになっていった。
董卓の独裁政治を敷いた時には、義兵を連れて董卓と戦う事を決意した。
ただこの時に注意していたことがある。
それは自分の兵士をあまりに増やし過ぎないようにした点で、
その理由は大きな軍団になればなるほど、
逆に災いを招いてしまう可能性が高いからだ!!
そもそも私の願いは現実的な未来しか望んでいなかったけれども、
時代がそれを許してくれなかった・・・
各地を転戦し、宰相になった時の曹操の心境
蒼天航路(7巻166p)より画像引用
私は青州黄巾賊の残党と戦い、
三十万人を我が軍団に引き込んだことで大きな力を手に入れ、
袁術が勝手に皇帝を名乗った時には、袁術を討ちとることに成功した。
そして次に待ち受けていたのは、袁紹との戦いだったのである。
袁紹は本当に大きな勢力だったこともあり、
「袁紹と戦っても勝てない」と思っていたのが正直な感想だった。
そこで私は勝てなくてもいい、漢の為に私の命を差し出し、
「後世に名前を残せればいいじゃないか」と思うようになったのだ。
いざ袁紹と戦いに突入すると、
運よく袁紹に勝利することができた。
また劉表も同様である。
皇帝の一族であることをいいことに自ら皇帝になる野心を抱いていたので、
私は劉表を討伐したのである。
そうやって戦いに身を投じていたわけだが、
気付けば私は宰相(丞相)まで昇り詰めていたのだ。
宰相と言えば漢王朝の最高の位である。
私自身もまさかここまで昇り詰めることができようとは想像していなかった。
こういうことを私が言うと、「調子に乗っている」と思う人もいると思う。
けれどもこれだけは言える!
もし私がいなければ、
多くの者達が皇帝を称して世を乱していたのは間違いないだろう。
現在の曹操の心境(56歳)
蒼天航路(26巻201p)より画像引用
今の私は強大な勢力を築いたことにより、
私が皇帝になろうとしているのではないかと疑う者達がいる。
しかし疑う者達は、私の心情を全く理解していない。
論語には「中華の三分の二を有しながらも、
忠実に殷に仕えた周の文王こそが最高の徳というものだ」と書いてある。
このことからも強大な力を持っている者が、力が弱い王朝を支えた例はあるのだ!
常に私の心は、
周の文王の心と同じで漢王朝を支えたいのだよ。
曹操の真の心情
蒼天航路(36巻252p)より画像引用
これがおおまかな「述志令」の内容になりますが、
本当に曹操が皇帝になろうとしなかったのかどうかは不明のままです。
心の奥底の心情は、曹操自身しか分かりません。
実際のところ、逆臣とも捉えられるような行いをやっていたのも事実ですしね。
また「述志令」の時から死去するまで10年という月日があるわけですから、
気持ちの変化ぐらいはあったかもしれません。
「述志令」の中でもその状況に応じて曹操の心情は常に変化していますから・・・
ただ一つだけ間違いない事はあります。
それは最後まで曹操が皇帝になることはなかったという点です。
これは歴史が証明しています。
ただこれはあくまで曹操自身の心情であり、
逆に言えば「私は皇帝になることはないけれども、
自分の息子達までのことは知らないよ」と捉えることもできるんですよね。