三国時代は群雄割拠時代を経て、

三人の皇帝が並び立つ三国時代に突入したわけですが、

 

戦いに次ぐ戦いが繰り広げられた時代でもありました。

 

 

またそれだけでなくイナゴの大量発生・度重なる天災が多発したり、

疫病も何度も発生している歴史があります。

 

これにより後漢末期の時代に約5600万人ほどいたと言われる人々が、

三国時代に突入した時には約760万人まで減少したといいますから・・・

 

まぁもちろん多くの流民や命令が届かない異民族もいたでしょうから、

戸籍として残らない人達がいたことを考えると、実際の人口はもう少し高かったかもしれません。

 

 

 

そんな時代に民衆のことを、

真剣に考えて行動に起こした英雄は誰だったと思いますか?

 

三国志演義の影響もあり、

仁君の人としても知られる劉備の名が一番あがるかもしれません。

 

ですが私は曹操こそ、

立場の弱い民衆のことを真剣に考えていたと思っています。

 

 

勿論その理由をなんとなくですませるわけではなく、

 

きちんと正史(「魏志 」武帝紀)に書かれてあることを参考にしながら、

論理的にその理由を説明しながら既存のイメージを壊したいと思うわけです。

曹操(孟徳) -中華統一以上のモノを未来へ残した超人-

202年頃の正史の記述

202年に曹操が故郷へ帰った時の話ですが、

故郷に帰った時には幼い時に居た自分の知り合いがだいぶ減ってしまっていたといいます。

 

それほどまでに多くの人々が死んでしまったということなのですが、

曹操はこの事態を非常に嘆いたようです。

 

 

そして曹操は次のような布告を出したといいます。

 

「私は義兵を率いて暴乱の世を治める為に天下を渡り歩いてきたが、

その代償として故郷の者達はほとんど死んでしまった。

 

私は複雑な思いで胸が締め付けられている!

 

 

私が挙兵して以来、死んでしまった将兵がいた場合、

親戚を探し出して後継者を決めて家を存続させてあげなさい。

 

そしてその後継者にはきちんと田んぼを授けて、

田を耕すための牛を与えることとする。

 

また教育を学ぶ為の環境を与えてあげようと思う。

 

 

一方で後継ぎが存在している者に対しては、

先祖を供養する為の廟を立ててあげるので、先祖を供養してあげなさい!」

 

 

これらの言葉からも曹操は最下層の人間なども平等に民衆を労わってあげたのが、

きちんと正史「武帝紀」に残っているというのは素敵な事だなと思っています。

205年頃の正史の記述

冬の時期に川が凍り付いたことがあったそうです。

 

曹操は川の氷を叩き割る為に住民を集めて氷をワラさせていました。

 

 

しかしこの作業があまりにも大変だったこともあり、

仕事を投げ出して逃げ出す者達もいました。

 

 

そんな中で逃亡した者が曹操の元に自首したことがあったそうですが、

 

曹操は法令に従ってお前を処刑しなければいけない旨を伝えた上で、

 

「正直に自首してきたお前を殺すことは忍びないので、

役人に見つからないような場所に隠れて捕まらないように!」と伝えたといいます。

 

 

法令は絶対であるという諸葛亮のような姿勢を理解している上で、

この話は曹操の人間味あふれる逸話ではないかなと思ったりしますね。

209年頃の正史の記述

戦争や疫病の発生によって多くの者達が死亡していた時の話ですが、

曹操の次のような言葉が残っています。

 

「戦争や疫病によって死亡したことによって取り残された者達で、

最低限の生活すらできない者達に生活必需品の提供を怠ることはするな!

 

だからこそ県令・県長(県のトップの立場にある者)は、

残された家族が最低限の生活ができるように目を向けてあげる事を忘れないように!!

 

私は心からそう願っているので、私の心に反することはないように・・・」

 

 

ここでの逸話は、曹操は202年に戦争で死亡した将兵の家族に対してだけ出したものとは、

意味合いが全く違うことに注目して欲しいと思っています。

 

戦争で亡くなった将兵は当たり前であるように、

疫病で亡くなったりした役人までがこの対象に入っているからです。

 

 

常に曹操は強い立場にありながらも、

弱者の立場での目線を忘れなかったということが、曹操の曹操たる所以でしょう。

218年頃の正史の記述

曹操は220年に亡くなっていますから、

曹操が民衆の立場に立って語った最後の逸話になります。

 

曹操は弱い立場にある民衆を想って、

次の者達の面倒を生涯見るように通知しています。

  • 夫も子供もいない七十歳以上の女性
  • 父母兄弟がいない十二歳以下の者達
  • 目が見えない者達(妻子兄弟がいなくて財産がない者達に限る)
  • 生まれつきや戦争や病気によって手足が不自由な者達(妻子兄弟がいなくて財産がない者達に限る)

 

 

これが短期的な対応ではなく、

生涯を面倒みるものであったことに注目ですね。

 

本来であれば「知ったこっちゃない!」と、

弱者を見て見ぬ振りすればよいところを、曹操はそうしなかったわけです。

 

 

曹操の凄い所は後漢王朝の衰退によって引き起った群雄割拠・三国時代で、

巻き添えになった弱い立場の民衆を常に気遣った点だと思いますね。

 

表面上で民衆を労わる言葉をかけるのではなく、

実際に弱い民衆の立場に立って、しっかりとそれを言葉に出して実行に移したのですから!!

 

 

そんな曹操だからこそ、

儒教社会では認められないような者達を認めることができたわけですし、

 

その延長線上として才能ある者達はどんな者達でも採用するという、

儒教社会の常識を無視した「求賢令」を当たり前のように出したりできたのでしょう。

 

 

また弱い立場の人を気遣えた曹操だからこそ、

曹操は神をも恐れぬ行為(孔子の子孫である孔融の処刑等)を平気でやっていけたのではないかと思うわけです。

 

 

だから私は強く思います!

 

徐州大虐殺のようなことをやったことも事実ですが、

 

三国時代で一番に民衆の事を考えて本気で行動に移せた者は、

劉備でも諸葛亮でも孫権でもなく、間違いなく曹操であったろうと・・・