燕人&張飛

蒼天航路(20巻75P)より画像引用

 

張飛といえば、三国志演義では、

劉備と関羽と義兄弟の契りを結んだ事で知られる豪傑で、

 

一万人に匹敵するとまで言われ、一騎当万とまで称された人物になりますね。

 

 

ただそんな張飛とは別に、

演義では酒による失敗も多く描かれていたりしますが、

 

「蜀志」張飛伝しかり、三国志(正史)には、

酒の失敗談どころか、酒についての逸話は全く残ってなかったりします。

 

そんな張飛ですが、中国では昔から人気が高い人物であり、

三国志演義の前身とも言われる「三国志平話」では、張飛が半ば主人公的な立ち位置となっています。

 

そんな張飛ですが、光栄(KOEI)の三国志(歴史シュミレーションゲーム)をプレイした事がある人は、

一度は聞いた記憶がある人も多いと思いますが、一騎打ちの際に次のような言葉を叫んだりします。

  • 燕人張飛ここにあり!
  • 我こそは燕人張飛なり!

 

では実際に燕人ってどこの人なのか、

今回はそんな素朴な疑問について見ていきます。

 

歴史に少しでも詳しい人ならピンとくると思いますが、

三国志の時代よりはるか前の春秋戦国時代にさかのぼります。

 

キングダムが好きな人は、よく耳にする国の一つに「燕」があると思いますが、

結論から言ってしまうと、その燕があった地域の事をいいます。

 

燕は遼東半島を含めた辺りに位置した国であり、

召公しょうこうせきから始まり、最終的に秦の始皇帝に滅ぼされた国でもあります。

 

そして張飛の出身がかつて燕があった地域に含まれる幽州の涿郡出身であった事から、

張飛は自分の事を「燕人」といった所に由来します。

 

 

ちなみに関羽は司隷河東郡の出身なので違いますが、

長らく苦楽を共にした主人の劉備も、張飛と同じく幽州涿郡の出身になります。

 

 

これまでの事を踏まえると、光栄三国志などの一騎打ちの際に、

「私はどこどこ出身の張飛という人物である」

と相手に丁寧に自己紹介してるだけということになりますね。

正史に記録が残る一騎打ち

 

三国志演義などでの影響から、

多くの一騎打ちが当時行われていたと思ってる方も多いですが、

 

この時代に一騎打ちはほとんど行われていなかったというのが正直なところではあります。

 

正史に残る一騎打ちは次のような組み合わせがありますので、

最後に軽く紹介しておこうと思います。

慈便前闘、正與策對。

策刺慈馬、而擥得慈項上手戟、慈亦得策兜鍪。

「呉志」太史慈伝より

  • 孫策VS太史慈(引き分け)

 

羽望見良麾蓋、策馬刺良於萬衆之中、斬其首還。

「蜀志」関羽伝より

  • 関羽VS顔良

 

関羽が顔良を討ち取った事は間違いないのですが、

首を斬るまでの感じが一騎打ちとは言えない可能性はあるかなとは思っています。

 

 

他には陳寿の著した「三国志(正史)」にはありませんが、

それに裴松之が注釈を加えた「英雄記」には呂布と郭汜が戦った逸話が残されています。

  • 呂布VS郭汜(呂布の勝利)→ 「魏志」呂布伝(裴松之注「英雄記」)

 

また「魏志」張既伝(裴松之注「魏略」)に、馬超と閻行が一騎打ちをした逸話が残されています。

  • 馬超VS閻行(閻行の勝利)