燕人張飛
張飛といえば、劉備と関羽と義兄弟の契りを結んで、
死ぬまで劉備に仕えた豪傑で、
張飛一人で一万人に匹敵するとまで言われ、
まさしく一騎当千を通り越して、一騎当万といわれた人物です。
そんな武力に秀でた張飛ですが、
KOEIの代名詞ともいえる三国志(歴史シュミレーションゲーム)で張飛が一騎打ちをする際、
「燕人張飛ここにあり!」「我こそは燕人張飛なり!」
なんて台詞をはいてるのを耳にした人も多いんじゃないでしょうか?
燕人燕人言うけど、実際燕人ってどこの人なのか
今回は率直に突っ込んでみようと思います。
燕という国
歴史に詳しい人ならすぐにピンとくると思いますが、
時は三国志時代より遡り、周〜春秋戦国時代のお話です。
その時代に、燕という国がありました。
燕という国は、召公奭(しょうこうせき)から始まり、
最終的に秦の始皇帝に滅ぼされています。
そして張飛がかつて燕があった地域の涿郡(たくぐん)出身だった為、
張飛は自分の事を燕人と名乗ったという事です。
結論を言ってしまうと単純なお話です。
ちなみに劉備の出身も、張飛と同じく幽州涿郡(たくぐん)です。
結局のところ・・・
結局のところ、一騎打ちする時に、
「私はどこどこ出身の張飛という人物だ」と
一騎打ちや戦う相手に丁寧に自己紹介してるだけなんですよね(笑)
そして一騎打ちや戦いに勝つ事で、
戦いを見ていた将軍や兵士達に名前を知らしめることができ、
自分という存在の価値を高めていけるわけなんです。
そういった意味でも、名前をきちんと名乗ってから戦うというのが
この時代、当たり前に行われていました。