「穴を掘って虎を待つの計」

呂布にまつわる計略で有名なのは、

「二虎競食の計」や「駆虎呑狼の計」ですが、

 

「穴を掘って虎を待つの計」も呂布にまつわる計略の一つになります。

 

これは名前の通り、「落とし穴」という罠をしかけることで、

虎(呂布)が罠にかかるまでゆっくりと待つといった計略になります。

 

 

「穴を掘って虎を待つの計」は、

「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」の延長線上の計略でもあり、

 

呂布討伐の総仕上げともいえる計略といっていいでしょう。

 

 

ちなみにこの三つの計略は、

全て三国志演義に登場した計略になります。

「二虎競食の計」&「駆虎呑狼の計」

「二虎競食の計」は、

劉備と呂布を争わせる為に荀彧が提案した計略ですが、

「二匹の虎」の間に「肉」を落として争わせるといった計略でした。

 

二匹の虎は勿論劉備と呂布を例えたものですが、

劉備を正式な徐州牧に任じた事で、呂布の討伐を依頼するというものでした。

 

 

曹操にとって呂布と劉備が手を組んでいることを非常に脅威に感じていただけに、

荀彧の提案を実行へと移していったのでした。

 

 

しかしこの計略は、結果を先に行ってしまうと失敗します。

 

結局「徐州牧」という肉を劉備に与えただけで、

呂布には何の肉も与えられていないことで、

 

曹操が二人を仲違いさせる為に仕掛けてきた計略だと感じた劉備は、

うまくこの話をはぐらかしたのでした。

 

 

一方の呂布にも何かしらの肉を与えていたならば、

「二虎競食の計」は成功していた可能性はあるかなと思います。

二虎競食の計

 

 

 

そして「二虎競食の計」の失敗を糧に編み出されたのが、

「駆虎呑狼の計」になります。

 

ちなみに「駆虎呑狼の計」も荀彧が考えた計略になります。

 

 

「駆虎呑狼の計」とは、

「穴の中にいるの前にが現れれば、

虎は穴をから出てきて、豹を必ず追いかけるはずだから、

 

その隙にに虎の穴を狙わせようとした計略」になります。

 

 

この場合の虎は劉備、豹は袁術、狼は呂布になり、

 

劉備に袁術を討伐をさせている間に、

留守になった徐州を呂布に襲わせようとしたもので、

 

実際に目論見通り、

劉備が留守にしていた徐州は呂布に奪われてしまいます。

 

 

ただその後に行き場を失った劉備と呂布があべこべに和解し、

 

劉備は小沛城に入った事で、

完全に成功したとは言い難い結果にはなっています。

駆虎呑狼の計

「穴を掘って虎を待つの計」

横山光輝三国志(12巻83P・84P)より画像引用

 

 

「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」のその後、

曹操は呂布に対して官位を送ったり呂布の懐柔へと動き出します。

 

 

曹操としては呂布と袁術が結びつく事に注意を払い、

 

また呂布も曹操に恩義を感じ、袁術の息子と呂布の娘の婚姻の為に、

呂布の元へと遣わされた袁術の使者を捕らえて曹操の元へと送ったりもしました。

 

しかしその時に曹操の元を訪れた陳登と結び、

呂布を倒すべく、裏の方で強く結びつくことに・・・

 

もともと陳珪・陳登親子はもともと陶謙の臣下で、

陶謙亡き後は劉備を主人だと思って仕えておりました。

 

しかし呂布が劉備を襲ったことで、呂布がいきなり主人になったわけです。

 

もともとそれに対してよく思っていなかったこともあり、

曹操に手を貸すことに何の抵抗もなかったのです。

 

「むしろ呂布の滅亡を望んでいた」

というのが正確な所でしょうね。

 

 

これにより曹操は呂布討伐の際に、

陳珪・陳登親子と共に協力してくれるように依頼し、

 

その後の劉備も表面上、呂布と繋がっている状態だったこともあり、

すんなり曹操と裏で繋がる事となります。

 

準備が整った曹操は、後は呂布討伐に乗り出すだけとなったのです。

 

 

もうお分かりかもしれませんが、

この計略を「穴を掘って虎を待つの計」といい、

 

もちろんここでの「虎」は呂布になりますし、

「穴」にあたるのが陳珪・陳登・劉備になります。

 

つまり曹操は三つの落とし穴を準備したわけです。

 

 

 

しかしここで予期せぬ出来事が起こり、

曹操から劉備への書簡を届けていた使者が呂布に捕らえられてしまいます。

 

これにより劉備が曹操と結んで、自分を滅ぼそうとしていることに気づき、

呂布は劉備討伐へと乗り出していくのでした。

 

 

これにより劉備は危機的状況に陥りますが、

残された陳珪・陳登の裏切りによって呂布の状況は悪化し、

 

戦いが続く中で侯成・魏続・宋憲など更なる裏切りを招いたことで、

最終的に呂布は捕らえられて処刑されてしまいました。

 

 

「穴を掘って虎を待つの計」も、

すんなりとうまくいった計略とは言い難いかもしれませんが、

 

結局呂布は曹操が準備した穴に落ちて捕らえられたことで、

成功を収めた計略だと言えると思います。