劉禅、劉備の跡を継ぐ

劉備の子である劉禅は、劉備がこの世を去る前、

「諸葛亮殿を父親と思って孝行しろ」と劉備から言われ、

 

諸葛亮にも

「もし劉禅が跡継ぎに相応しくないようなら、諸葛亮が跡を継いでくれ」と後を託し、

諸葛亮は、劉禅を補佐していく事を誓った。

 

その遺言通り、劉備が死去した後、

劉禅が劉備の跡を継ぎます。

 

そして諸葛亮が丞相になり、

今後、劉禅を支えていく事になります。

蜀呉の関係の改善

蜀と呉の関係は、長らく悪化していましたが、

魏を倒すには、呉と友好同盟を結んでおくことは必須であると考えており、

諸葛亮は、お互いの関係の回復・強化に努めます。

 

 

もともと夷陵の戦いの後、劉備が白帝城で病死する前、

孫権が劉備に対して友好の使者を送っており、

劉備も戦いに敗れて弱気になっており、これを受け入れていました。

 

このように、友好関係は既に回復していましたが、

蜀より呉へ、呉より蜀へ、お互いに友好の使者を送り、再確認・強化した形でした。

諸葛亮の南蛮討伐

劉備亡き後、蜀の南の方で

孟獲(もうかく)が反乱をおこします。

 

夷陵の戦いで、呉に大敗を喫した蜀は、

兵力を大きく減らし、多くの人材を失っていました。

 

その上、今回の反乱の勃発です。

諸葛亮は、後方の憂いを断つべく出陣します。

 

そして両者が激突し、

孟獲は何度も捕らえられますが、何度も解放されます。

心から服従させなければ意味がないと考えていたからですね。

 

七縦七檎(しちしょうしちきん)という言葉は,

ここで生まれています。

 

この意味は、7度捕らえられた孟獲が、7度解放され、

心から服従したといった意味になります。

 

南蛮を平定した事で、後方の憂いを断ち、魏討伐に取り掛かれるようになったのです。

孔明と孟獲(南蛮討伐/七縦七擒)

曹丕の崩御

221年に曹操の跡を継いだ曹丕ですが、

226年、早くもこの世を去ります。

そして曹叡(そうえい)が、曹丕の跡を継ぎます。

曹操に溺愛された曹叡の才能

 

彼は子供の頃から神童として注目され、

曹丕の跡を立派に継いでいけるという期待を受けての即位でした。

 

まだ曹操が生きていた時代、孫の曹叡に対し、

「三代目になるのはお前しかいない」と言われたほどでした。