曹操と結婚した女性達

曹操は生涯で13人の女性と結婚しました。

 

そして13人の女性との間に、

合計32人の子供を作っています。

 

 

ちなみにではありますが、

何人の女性と結婚したとしても正妻(正室)は一人になります。

 

つまりそれ以外の女性は、全員側室ということですね。

 

 

今回は曹操が結婚した女性の中で劉夫人から丁夫人へ、

そして卞夫人に正室が移っていくのですが、

 

今回は曹操の正室になったこの三人を紹介したいと思います。

劉夫人(一人目の正室)

劉夫人は、曹操がまだ若かりし時に嫁いできた女性で、

まだ曹操自身が自分の地盤すら確立できていない時期でした。

 

劉夫人の情報はあまりに少なすぎるのが現状ですが、

おそらく名家出身であった可能性は非常に高いと思います。

 

 

そんな劉夫人と曹操の間ですが、

三人の子供が誕生しています。

  • 曹昂(そうこう/長男)
  • 曹鑠(そうしゃく/次男)
  • 清河長公主(せいかちょうこうしゅ/長女)

 

 

ただ残念ながら劉夫人は早世していしまっています。

 

そして劉夫人がこの世を去った後は、

丁夫人が劉夫人の三人の子供達を引き取って世話をしたと言われています。

 

 

ただ清河長公主に関してのその時の記述が見当たらない為、

はっきり丁夫人が引き取って育てたかどうかは実際は不明ではあるのですが・・・

 

ですが普通に考えれば、

まとめて育てたと考える方が自然だと思いますね。

丁夫人(二人目の正室)

丁夫人が曹操の二人目の妻として曹操に嫁ぐと、

正妻として置かれたと一般的には言われています。

 

そのように言われる理由は、

丁夫人の方が家柄的に優先すべき家柄であったのでしょう。

 

そして残された少ない記録からの推測だと思います。

 

 

ただこのあたりは調べれば調べる程、

色々と闇の部分が見え隠れするような所ではあるのですが・・・

 

 

「曹操の従妹に宋奇なる人物に嫁いだ」

という記録があったりしますし、

 

「「宋奇は霊帝の妻であった宋皇后の外戚であった可能性は高い」と思っています。

 

なぜなら178年10月に宋皇后は廃皇にさせられてしまいますが、

その罪により一族の者達は処刑されています。

 

 

また同じタイミングで宋奇も処刑されていますし、

「曹操も連座の罪で免官された」と記録に残っている点からも、

 

「宋奇と宋皇后は親族であった可能性が非常に高い」というか、

それしか考えられませんね。

 

 

 

そしてそんな事件が起こる前の話ですが、

大宦官であった曹騰の影響力もあり、

 

「曹操が娶っていた劉夫人も、

宋皇后に関係した一族であった可能性はある」と思っています。

 

もしくは単純に劉姓の女性ですから、

漢王朝に関係する一族であった可能性も十二分に・・・

 

 

しかし宋皇后の廃皇事件が起こったことから、

「曹操は新たに丁夫人を娶って、

正妻としたのではないか!?」と私は思ったりするわけです。

 

 

だからそれまでは曹操の正妻は劉夫人だったと思っています。

 

もっと言ってしまえばそういう事件があったとしても、

劉夫人が亡くなるまでは正妻であった可能性も十分あるとすら思っています。

 

これははっきりした情報がない為に、

現在に残されている記録からの推測が入ってる事ではあるのですが・・・

 

 

まぁこれは一般論として、

丁夫人を正妻としている意見の人にも言えることですけどね。

 

 

 

とにもかくにも丁夫人は、

劉夫人亡き後に曹昂・曹鑠・清河長公主を引き取って育てあげています。

 

 

曹操と丁夫人の間には子供ができていなかったこともあり、

 

「丁夫人は劉夫人の子供達を、

自分の子供として大変に可愛がった」といいます。

 

 

しかし次男の曹鑠は病弱であったこともあり、

二十歳前後で病死してしまいます。

 

そのことから長男であった曹昂への愛情はさらに高まっていくのでした。

丁夫人の悲劇(曹昂の死)

大切に大切に曹昂を育てた丁夫人でしたが、

その後に大きな悲劇が丁夫人に対して起こることとなります。

 

それは曹操が張繍討伐の際の事です。

 

曹操は見事なまでに賈詡の計略にはまってしまい、

多くの身内であったり臣下を失ってしまいます。

 

 

その中には曹昂の名もあったわけです。

 

他には曹安民であったり、典韋であったり・・・

 

 

そして「曹昂の死」を、

誰よりもショックを受けたのが丁夫人でした。

 

その悲しみは尋常なものでなく、

「曹操へ憎しみとも思える感情」を募らせていく事になります。

 

 

 

そして曹操と何かあるごとに、

 

「私の息子を殺しておいて、

よくもそんな平気な顔をしていられますね!!」

と皮肉を言いながら、泣きじゃくったといいます。

曹操との離縁

「曹昂の死」をきっかけに、

 

丁夫人の乱れようが半端ではなかった為に、

曹操は丁夫人を一旦実家に帰します。

 

 

そして丁夫人の気持ちが、

少しでも落ち着いてくれるのを待つ事にしたわけです。

 

 

しかし一向に丁夫人が戻ってくることがありませんでした。

 

そこで曹操は自ら丁夫人の実家を訪問し、曹昂の件を深く謝罪したわけです。

そして「そろそろ戻ってきてくれ!」と・・・

 

 

しかし曹操の気持ちが丁夫人に伝わる事はなく、

これがきっかけとなって二人は離縁してしまうことになったのでした。

 

ただ曹操自ら丁夫人を迎えにいったことからも、

心の底から曹操が丁夫人を愛していた可能性は高いと思います。

 

 

もしかすると曹操にとっては、

これが「初めての失恋」だったのかもしれませんね。

 

 

そして後に丁夫人が亡くなった事を知った曹操は、

 

丁夫人の後に正妻とされた卞夫人が埋葬を願い出ており、

「それを曹操が許可した」という話しが残っています。

 

 

 

また晩年の曹操は次のような言葉を残しています。

「もしこの世に霊魂なるものが存在し、

曹昂から育ての母であった丁夫人の行方を尋ねられた場合、

私は曹昂に対して何と答えてあげたらいいのだろう」と言ったといいます。

 

それだけ丁夫人の事が忘れられず、

最後の最後まで曹操の脳裏に残っていたことが分かる逸話でしょうね。

卞夫人(三人目の正室)

丁夫人が正室にいた頃に、卞夫人は側室として迎えられています。

 

卞夫人は貧しい家の女性で、

酒宴の席等で歌を披露したりする歌妓(遊女)でした。

 

そんな卞夫人は、二十歳の時に曹操の目に止まり、

曹操の側室として迎え入れられています。

 

 

卞夫人は曹操の妻になってからも、

豪華な暮らしを好まず、謙虚な振る舞いを心がけていたといいます。

 

 

 

そんな卞夫人の性格を表すような逸話があったりします。

 

 

ある時の話ですが、曹操が複数の耳飾りの中から、

好きなものを卞夫人に選ばせたことがありました。

 

その時に卞夫人は高いものでも安いものでもなく、普通の耳飾りを選んだわけです。

 

 

これに対して曹操は、

「なぜ普通の耳飾りを選んだのか!?」と尋ねると、

 

 

「高い耳飾りを選べば欲深い者だと思われてしまいますし、

 

逆に安い耳飾りを選んだ場合は、

自分を良く見せる為に安い耳飾りを選んだと思われてしまう可能性があります。

 

だから私は普通の耳飾りを選んだのですよ。」

と卞夫人は言葉を返します。

 

 

この卞夫人の言葉に、曹操は非常に感心したといいます。

卞夫人の人柄&皇后就任

卞夫人は正室であった丁夫人からは、

歌妓であったことを理由に嫌がらせを受ける事も多々あったようですが、

 

卞夫人は丁夫人からどんな仕打ちをうけても、

丁夫人への礼を欠かすことは一切ありませんでした。

 

そして丁夫人が曹操と離縁した際には、卞夫人が正妻となります。

 

 

また卞夫人は正室となってからも、

丁夫人に対して定期的な挨拶も欠かさず続けただけでなく、

 

曹操がいない時に丁夫人を家に招いたことがあったり、

丁夫人に対して贈り物をしたという話が「魏略」に残っていたりします。

 

 

つまり卞夫人はかつての嫌がらせを恨みに思わず、

立場が上になってからも丁夫人に対しての配慮を忘れる事はなかったのでした。

 

そして丁夫人は以前の自分の行いを反省するとともに、

卞夫人に対して、とても感謝したといいます。

 

 

後に丁夫人が亡くなった際には、

丁夫人の埋葬を曹操に願い出ており、曹操自身もはそれを許可しています。

 

最後の最後まで丁夫人に対しての礼を貫き通した形になりますね。

 

 

 

また卞夫人は曹操との間に、

曹丕・曹彰・曹植・曹熊の四人の子供を授かっており、

後に曹丕は「魏」を建国しています。

 

 

そして卞夫人は曹丕の「魏」建国に伴って、

「皇后(卞皇后)」と呼ばれるようになります。

 

卞夫人が230年にこの世を去ると、

高陵にある曹操の墓に合葬されたといいます。

曹操は愛妻家であったのか!?

曹操は13人を妻としており、

「女性にだらしないイメージ」を持ってる人もいると思いますが、

 

劉夫人・丁夫人・卞夫人以降も、10人の妻を側室としていますが、

10人それぞれの妻に対する面倒はきちんと見ています。

 

 

そればかりか連れ子がいた場合は、

その連れ子も自分の実の息子同様に大切に育て上げています。

 

秦宜禄の元妻であった杜氏(杜夫人)の連れ子であった秦郎であったり、

尹氏(尹夫人)の連れ子であった何晏(何進の孫)はその最たる例でしょうね。

 

 

息子である曹丕は正妻であった甄夫人を死においやったりしている事と比較しても、

曹操はきちんと夫として生涯を通じて全員の妻を大事にしたと言えると思います。

 

 

そして曹操が亡くなる前に、

残された妻たちが自分がいなくても生活していけるように気遣った逸話が残っていたりしますが、

 

この時代であるからこそ尚更に素敵な話だと思ったりします。

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