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曹操廟に祀られた二十六人の功臣
曹操廟に祀られた者達は、1人を除いて全ての者達が諡号を贈られた者達ばかりですので、
ここでは選ばれた26人の諡号に重点を置いて見ていきます。
曹操は建安二十五年(220年) に病死しますが、
曹叡・曹芳・曹奐の治世下において、曹操廟に二十六人の功臣が祀られることとなります。
ここでは功臣に選出された二十六人の諡号について見ていきたいと思います。
ちなみに諡号とはその者の生前を称える為に、
死後に贈られた呼び名のようなもののことを言います。
曹操〈太祖(廟号) 武皇帝(諡号)〉
※一般的に武帝(魏武帝)と言われる事も多い。
〈合計26人の追加時期〉
- 青龍元年(233年)に三名追加
- 正始四年(243年)に二十名を追加
- 正始五年(244年)に一名を追加
- 嘉平三年(251年)に一名を追加
- 景元三年(262年)に一名追加
-青龍元年(233年) 曹叡の治世《合計三名》-
夏五月壬申、詔祀故大将軍夏侯惇、
大司馬曹仁、車騎将軍程昱於太祖廟庭。 「魏志」明帝紀より |
- 夏侯惇(大将軍)→忠侯(上号)
- 曹仁(大司馬)→忠侯(上号)
- 程昱(車騎将軍)→粛侯(上号)
-正始四年(243年) 曹芳の治世《合計二十名》-
秋七月、詔祀故大司馬曹真、曹休、征南大将軍夏侯尚、
太常桓階、司空陳羣、太傅鍾繇、車騎将軍張郃、左将軍徐晃、 前将軍張遼、右将軍楽進、太尉華歆、司徒王朗、驃騎将軍曹洪、 征西将軍夏侯淵、後将軍朱霊、文聘、執金吾臧霸、破虜将軍李典、 立義将軍龐徳、武猛校尉典韋於太祖廟庭。 「魏志」斉王紀より |
- 曹真(大司馬)→元侯(上号)
- 曹休(大司馬)→壮侯(上号)
- 夏侯尚(征南大将軍)→悼侯(中号)
- 桓階(太常)→貞侯(上号)
- 陳羣(司空)→靖侯(上号)
- 鍾繇(太傅)→成侯(上号)
- 張郃(車騎将軍)→壮侯(上号)
- 徐晃(左将軍)→壮侯(上号)
- 張遼(前将軍)→剛侯(上号)
- 楽進(右将軍)→威侯(上号)
- 華歆(太尉)→敬侯(上号)
- 王朗(司徒)→成侯(上号)
- 曹洪(驃騎将軍)→恭侯(上号)
- 夏侯淵(征西将軍)→愍侯(中号)
- 朱霊(後将軍)→威侯(上号)
- 文聘(後将軍)→壮侯(上号)
- 臧覇(執金吾)→威侯(上号)
- 李典(破虜将軍)愍侯(中号)
- 龐徳(立義将軍)→壮侯(上号)
- 典韋(武猛校尉)→諡号なし
-正始五年(244年) 曹芳の治世《合計一名》-
冬十一月癸卯、詔祀故尚書令荀攸于太祖廟庭。
「魏志」斉王紀より |
- 荀攸(尚書令)→敬侯(上号)
-嘉平三年(251年) 曹芳の治世《合計一名》-
十一月、有司奏諸功臣應饗食於太祖廟者、
更以官為次、太傅司馬宣王功高爵尊、最在上。 「魏志」斉王紀より |
- 司馬懿(太傅)宣公 → 宣王 → 宣帝(上号)
※上号で一括りにまとめてはいますが、結果的に他の者達より上位の諡号となっています。
-景元三年(262年) 曹奐の治世《合計一名》-
是歳、詔祀故軍祭酒郭嘉於太祖廟庭。
「魏志」陳留王紀より |
- 郭嘉(軍祭酒)→貞侯(上号)
諡号一覧の合計人数
曹操廟に祀られた26人の功臣の諡号を整理してみますと、
以下のような形となりました。
- 壮侯(上号)→5人
- 威侯(上号)→3人
- 忠侯(上号)→2人
- 貞侯(上号)→2人
- 敬侯(上号)→2人
- 成侯(上号)→2人
- 愍侯(中号)→2人
- 宣帝(上号)→1人
- 粛侯(上号)→1人
- 元侯(上号)→1人
- 靖侯(上号)→1人
- 剛侯(上号)→1人
- 恭侯(上号)→1人
- 悼侯(中号)→1人
- 諡号なし→1人
余談:選ばれても不思議ではなかった者達
- 荀彧(侍中・光禄大夫)→敬侯(上号)
- 曹純(議郎・司空軍事)→威侯(上号)
- 賈詡(太尉)→粛侯(上号)
- 于禁(左将軍)→厲侯(下号)
- 許緒(武衛将軍)→壮侯(上号)
- 辛毗(衛尉)→粛侯(上号)
- 趙儼(司空)→穆侯(上号)
- 満寵(大尉)→景侯(上号)
- 董昭(司徒)→定侯(上号)
- 劉曄(大鴻臚)→景侯(上号)
- 韓浩(中護軍)→諡号なし